盛岡タイムス Web News 2014年  6月  19日 (木)

       

■  〈風の筆〉55 沢村澄子 「風外」


 風外慧薫(ふうがいえくん、1568〜1654)という禅僧がいた。生まれは上野国、今の群馬県で、6歳で出家。成人後は転々と放浪の修行、50歳代半ばから洞窟に棲(す)んだことから、「穴風外」とも呼ばれた。

  数年前、古本に風外の書を見つけ震撼(しんかん)としたのである。それからずっと気になりながらもそのままにしてあったところ、「いつか言ってたお坊さんの洞穴見に行こうよ」と誘ってくる酔狂な友あり、「ミカン畑の脇だって、どこのミカン畑なんだか…」「ネットで調べなよ」と展開。右往左往のうちにひょうたんから駒ではないけれど、意外にも風外の書画を見せていただけるという幸運にまで行き着いた。

  印刷物でさえあの気韻を伝えてきた風外なのである。上京の車中、ブログで読んだ逸話など思い出しながら、対面を待つ心が躍った。

  一人の雲水が教えを請うて風外の穴を訪れたとき、禅師は非常に喜んでこの雲水を迎え、食事を出した。

  その時、雲水が鉢盂(はつう=禅宗の修行僧が使う個人用の食器)を持っていなかったので、風外禅師は、髑髏(しゃれこうべ)に食事を盛りつけて勧めた。雲水が口をつけるのを躊躇(ちゅうちょ)していると、禅師は非常に立腹し、その雲水を追い出してしまったのだという。

  この話に、わたしは少々の疑念を持っていた。

  覚者が立腹するものなのか?ということがまず。印刷の書画からはそんな行動に出る風外、という印象は受けなかったけれども。そして、もとよりここでは物事の分別(ぶんべつ)を戒める禅の教えを説いているのだろうけれど、ならば、髑髏で食べられる人も食べられない人も分別しなさんなよ、と、これはわたしの余計な屁理屈。

  いずれ、この文頭に記した風外の略歴もこの逸話も伝聞に他ならない。とにかくこの目で見てみること。

  結果、軸5本ほどの拝観だったが、書も画も俗気がなく澄んだ香気。気韻が高く、素晴らしかった。軽みのあるところが、おそらくわたしの好みで、しかし、洒脱(しゃだつ)というよりは素朴、真摯(しんし)な印象。そして、モダンであるのが一番の特異性であろうかと思いながら、バス停で帰りのバスを待つ。

  そのバスに揺られていてふと、「ひらめき」という言葉が落ちてきた。そうね、風外には「ひらめき」がある。そう確信されると、ではその「ひらめき」の正体とは一体何だろうかと、次なる疑問がまた始まって。

  ところが盛岡に戻ると、昔から学問が不得手なわたしの追究は間々と続かず、風外はまたしばらくの棚に上がった。が、きのうは紙を延べ、墨を磨り、大きく「風外」と書くことに。

  「風の外」ってどんなものなのか、書いてみたくなったのである。

  風に内や外があるのか、風の外に何があるのか、書いてみたい気がし、また、その何かが書けるのではないかと、思われたのだ。
     (盛岡市、書家)


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