盛岡タイムス Web News 2014年  7月  2日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉389 伊藤幸子 「駒形どぜう」


 君は今駒形あたりほととぎす
                高尾太夫

 「東京の浅草に〈駒形〉という地名がある。今はコマガタと言い習わされているが、土地の人はコマカタと言う」として、歴史時代小説「どぜう屋助七」の幕が開く。

  おもしろいのなんのって、時は今、うなぎの夏、どじょうの夏。昨年12月刊行の河治和香著。嘉永7年(1854)16歳の伊代は、浅草で道に迷った。これから働く「駒形どぜう」は店の表に看板も屋号も出ていない。戸口にかけた五巾(いつはば)ののれんに「どぜう」とあるばかり。

  田舎出の伊代の仕事は牛番。夜明け前から野菜を市場に運ぶ牛馬が行き交い、どぜう屋で朝食をとる習いで大忙し。つながれて待つ牛馬の排せつ物を速やかに片付ける専従の者を「牛番」といった。新参者の仕事だ。

  この〈やっちゃ場〉帰りの男たちはみな腹を空かしている。湯気の立ったどじょう汁に薬味のネギを山盛り入れて、まずは汁をちょっとすすって、中のどじょうをおかずに飯をかっこむ。さらにおかわりで残ったみそ汁をフーフー言ってたいらげる。どじょう汁は16文、飯とセットで30文、ご酒一本24文だった。吉原帰りの客を運ぶ駕籠(かご)かきもいれば、ペリーと黒船のことを大声でしゃべる客もいる。

  安政2年は天候不順に加えて妙な現象が相次いだ。江戸市中でナマズが大漁、店ではドジョウが異様にあばれだし、四斗樽からとび出す…。その時、ゴーッと地鳴りがした。10月2日、安政の大地震。店主元七(3代目助七)はすぐさま従業員総出で、たきだしを始める。あちこちで火の手が上がり、蔵前や浅草寺方面からも被災民が押し寄せる。この元七はじめ市民の言動は現在の支援活動も思わせる。

  大地震の混乱から1カ月、11月1日には店を再開。江戸は火事が多いので、元七は店の座布団点検(ザブケンと呼んだ)を徹底し、たばこ火や鍋物などの注意を呼び掛けた。人が集まるところ、小説よりも奇なるシナリオがいっぱい。コロリ(コレラ)の発生や、江戸の幽霊の出番には青蚊屋の舞台も興を添える。

  〈駒形どぜう〉210年の歴史の中で6人の歴代当主は、それぞれの才覚で店を守ってきた。現代は農薬によるどじょう不足も独自ルートの開発で乗り越えられた。「昨日に変らぬ今日の味、今日に変らぬ明日の味」の信条が今に受け継がれていると「あと書き」にみえる。私が初めて、どぜうのお店に上がったのはふたむかしも前だったろうか。履物をひもで縛って預かられたのが印象的だった。
(八幡平市、歌人)



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