盛岡タイムス Web News 2014年  7月  6日 (日)

       

■  東北の三大文人論じる 啄木学会盛岡例会200回記念 渡部芳紀氏が講演


     
   
 
講演する渡部氏
 

 国際啄木学会盛岡支部の月例研究会200回記念講演会が6月28日、盛岡市のアイーナで開かれた。山田町在住の中央大名誉教授の渡部芳紀氏が、石川啄木、宮沢賢治、太宰治の3人の文学を論じ、国際啄木学会会長の望月善次氏が「啄木短歌における三行書きの意味」と題して講演した。約50人が参加し、1996年の開始からの節目に、理解を深めた。

  渡部氏は太宰と賢治を比較し、地方の名家の出自への原罪的な意識を重ねた。青春期に賢治は法華経、太宰はバイブルにのめり込み、聖俗のはざまに葛藤する宿命を照らし合わせた。

  賢治については、「いくら貧しい人々のために役立ちたいと思っていても、ときどき自分のこと、身内のこと、特に病弱の妹トシのことを思うと自己中心の考え方が湧いてくることがあった。それを賢治は修羅の意識、傲慢(ごうまん)な態度として厳しく自己反省する。そうした修羅の自覚は、賢治の文学の根底にある謙虚さ優しさのもとである」と分析した。

  太宰については、「大学に入ると左翼運動に触れ、貧しい人々のために働こうとしたが、その運動から脱落し、さらに女性と心中を図って相手を死なせてしまい、罪の自覚を深めていく。自分は駄目なやつだ、人を傷付けた、悪いことをしてしまったという罪の自覚が、彼の文学の根底に謙虚さと優しさとして流れている」と批評した。

  太宰と啄木について、「かねがね自分は太宰の弁護士という言い方をすることがあった。啄木学会の例会に出ていると、それと同じような啄木を弁護するといった発言が出てくることがある。まったく違った文学世界を生み出した2人が、2人とも弁護を必要としているところを持っているのが興味を引いた。なぜ弁護を必要とするか。それは2人がとても魅力ある作品を生み出していながら、一方では周りの人にかなり迷惑を掛けていた」と述べ、放蕩(ほうとう)に咲いた文才が、二人を破滅に誘ったと分析した。

  東北を代表する3人の文学の関係に、大きな研究テーマを見いだした。


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