盛岡タイムス Web News 2014年  7月  9日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉229 三浦勲夫 新生の季節


 種子の中にある生命力が春に芽を出す。地下水を吸いあげ初夏の太陽を受けてぐいぐいと実を太らせる。やがて梅雨に入り、各地で大雨被害や高湿度。北東北の盛岡は少雨が続いたが、先週、金曜日には豪雨が見舞った。その日、宮古では朝から濃いヤマセの白い霧が町にも広がり、肌寒かった。

  天気は不順だが、山の緑は滴っている。根から水分をたっぷり吸いあげて葉も枝もピンと張り、水を満々と蓄えている。どの木も緑滴るというより、緑を噴き上げている感じだ。勢いよく木々は盛り上がり、北上山地は命の新生、伸長の時期にある。

  宮古発のバスが盛岡に入ると、雨に映えるアジサイが煙る色合いで涼しげにたたずむ。紫陽花と書くが、紫のほかにも青、ピンク、白と大きなくす玉が葉影にほほ笑む。北海道を除き、雨の多い梅雨が夏の一部となる日本の気候は洪水、土砂崩れなど油断できない天災をはらみながらも、草木に緑いっぱいの生気を与えている。

  翻って世界にはさまざまな夏がある。四季がなければ雨期と乾期がある。そこに人が住み、文化を営む。文化には歴史、宗教、習慣、言語、法律などがある。人間はそれらの点で大きく異なりながら、「ヒト」という生物的分類で共通している。文化は学び、伝え、拡大することができる。その逆に、吸収、併合、抹殺されることもある。その消長を異文化は絶えず繰り返してきた。

  その日、小説を読んで学んだ単語は「ポターズ・フィールド」だった。「陶器工の畑」は聖書の「マタイ伝」にある。師キリストを裏切って売り渡した弟子ユダ。師に対する死刑判決後に、裏切りを後悔したユダは銀貨30枚を祭司長や長老たちに返す。その金で祭司長たちは、ある陶器工の畑を買った。血塗られた金で買った土地だから「血塗られた畑」ともいう、とある。そこに旅人たちの骨を埋めたので、「陶器工の畑」の別の意味は「貧民たちの共同墓地。無縁墓地」ともなった。その場所がエルサレムにある。

  小説は「マンデルバウム・ゲイト」(ミュリエル・スパーク著)。イギリス人(非ユダヤ系)、ユダヤ人、半分ユダヤ人、アラブ人、という人種が登場し、ローマン・カトリックのイギリス人女性(半分ユダヤ系)が結婚歴のあるイギリス人男性と結婚できるかどうか、という問題を抱える。複雑な人間関係、宗教対立を伴い、問題の行方が興味深い。

  例えば宗教の違いをどう調整するか。一方が他方を支配しようとすれば宗教戦争となる。話し合いをしても平行線となる。結局、互いに不干渉、容認の態度で併存するのが一般的な解決となるだろう。宗教的無関心ということになる。しかし無関心だからといって、それが平和解決を意味するわけでもない。常に侵略される危険は存在する。自分が立つ文化的根本をしっかり築き、身構えなければならないのではないか。

  その根本は人によって異なる。宗教、科学、政治力、人間性などがある。経済力はいずれの場合にも基盤となる。例えば日本の中世である。商工業の同業組合である「座」を支配した寺社は、その経済的権益を守る実力集団(神人・じにん)を持った。やがて楽市・楽座が生まれてそれを打破した。社会も自然同様、新生の季節を生み出していく。
(岩手大学名誉教授)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします