盛岡タイムス Web News 2014年  7月  17日 (木)

       

■  〈夜空に夢見る星めぐり〉358 八木淳一郎 冥王星の発見

 

  冥王星と言えば、かつて最遠の惑星として知らない人はいないほどでしたが、降格の憂き目に遭い、今では準惑星ということになっています。冥王星の発見者トンボウ博士の出身地では、今も惑星の番付から外さないという話ですが。その冥王星が今月4日、衝(しょう)を迎えました。衝というのは惑星や小惑星、準惑星などが地球をはさんで太陽と正反対の方向に来た時を言います。冥王星は、いて座にあって明るさは約14等級。大望遠鏡を通して、空のいい条件のもとにやっと見える、といった難物です。一生の間に見ることのできる人は何人いることでしょう…。

  冥王星発見のドラマは今から84年も前にさかのぼります。1930年1月21日のことです。場所はアメリカのアリゾナの砂漠の地に建てられたローウェル天文台。天文台はパーシバル・ローウェルが、火星の観測と研究のために私財を投じて造った、当時世界でもトップクラスの大屈折望遠鏡を有したものでした。資金はハーバード大学総長の兄ローレンス・ローウェルに負うところが大きかったと言われています。ローウェルは1855年ボストンで生まれ、ハーバード大学を出た後、実業家・外交官として一時期、日本にも滞在したことがあります。ローウェルはイタリアの天文学者スキャパレリが発見した火星の条模様カナリに心を奪われ、火星には高等生物が造った運河があるのではないか、とその観測に後半生の全てをささげたのでした。

  その結果についてはまたの機会に譲るとして、一躍名をはせることになったローウェル天文台の名を、さらに高めることになったのが、ローウェルの助手トンボウでした。ローウェルは晩年、天王星の軌道上の動きが、その外側を回る海王星のさらに外側に未知の天体があるからではないかと考えました。ローウェル自身は発見の報に触れることなく1916年アリゾナで亡くなりました。当時の観測技術や機材のレベルは今とは比ぶるべくもありません。

  やがて想像を絶する苦労が報われる時がやってきたのでした。そして、ローウェルの誕生日を待って1930年3月13日、冥王星発見が世界に発信されたのでした。冥王星の英名プルートPlutoの名前は冥府の王にちなんだもので、雰囲気からしてなかなか味のあるものですが、なんと11歳の女の子の発案といいますから驚きです。ちなみに和名である冥王星は、かの大仏次郎(おさらぎじろう)の兄で星の文学者として名高い野尻抱影(のじりほうえい)によると言われていますが、見事としか言いようがありません。

  ロマンに満ちた新天体発見のドラマは、私たちの心を揺さぶらずにはおられません。天体のみならず、科学的知見や法則を新しく見いだす。そのため一人でも多くの盛岡の子どもたちが科学や自然への関心を深めることができるよう、これからは市民と行政が一丸となっていきたいものです。
(盛岡天文同好会会員)


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