盛岡タイムス Web News 2014年  8月  13日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉396 伊藤幸子 「鎧が重い」


 けふまでもあればあるかのわが身かは夢のうちにも夢をみるかな
                                               平教盛

 炎天下に車を止め、再び戻ってハンドルを握ると、その熱いこと。車中の熱気に頭がぼおっとして、すぐには行動に移せない。「日頃はなにともおぼえぬハンドルが、きょうは重うなったるぞや…」とひとりつぶやく。

  ここは平成の文明の御代の駐車場。今しもくらくらと脳天を直射された媼(おうな)ひとり、ゆらめくかげろうの向こう側に、八幡太郎義家の末裔(えい)木曾義仲の声を聞く。治承4年(1180)秋、義仲は平家打倒の兵を挙げた。すでに源頼政、頼朝たちは先陣し、世は騒乱のただ中だ。

  私は「平家物語」の生き生きと歯切れのいい文脈が大好き。義仲その日の装束には「赤地の錦の直垂(ひたたれ)に、唐綾(からあや)おどしの鎧(よろい)きて、しげどうの弓もって、きこゆる木曾の鬼葦毛(おにあしげ)といふ馬の、きはめて太うたくましきに、金覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)を置いてぞ乗ったりける」といういでたち。

  「妻のともゑは色白く髪長く、容顔まことにすぐれたり。ありがたきつよ弓、せい兵(びょう)、うち物もっては鬼にも神にもあはむどいふ一人(いちにん)当千のつはものなり」(岩波日本古典文学大系)

  義仲このとき31歳。勝利に酔い目もくらんだか、勢いに乗りすぎ、後白河法皇に翻弄(ほんろう)され、挑発に乗って院の御所・法住寺を焼き討ちしてしまった。たちまち朝敵となり、義経、範頼の軍に追われることとなる。なんのことはない源氏の白旗同士の戦いだ。

  ここに今井四郎兼平という義仲の乳兄弟がいる。彼は木曾豪族、中原兼遠の息子。義仲は2歳のときから兼遠に育てられ、ふたりは終生の友だ。

  あれほど勢いのあった木曾軍も、六条河原でほとんど玉砕してしまった。ついにうち従う者数騎のみ、ともゑに「おのれは女なればいづちへも行け。木曾の最後の戦に女を具せられたりけりと言はれん事もしかるべからず」とのたまへど男に劣らぬ働きをみせる。

  やがて見渡せば、木曾殿、今井兼平、ただ二騎のみになって義仲の言葉「日頃はなにともおぼえぬ鎧が、けふは重うなったるぞや」そこで兼平、「御身も未だ疲れさせたまはず、御馬も弱り候はず。臆病でこそ、さは思し召し候へ」としきりに叱咤(しった)激励する。

  多勢に無勢、ついに義仲は首を取られ、兼平は「太刀の先を口に含み、馬よりさかさまにとび落ち、貫かれてぞ失せにける」とある。昔も今も戦の悲惨さ。「鎧が重うなったるぞや」の男の嘆きには胸を抉(えぐ)られることだ。
(八幡平市、歌人)




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