盛岡タイムス Web News 2014年  8月  14日 (木)

       

■ 〈風の筆〉63 沢村澄子 「続々・墨の話」

 2週続けて、磨(す)った墨を賛美する作文をすると、同時に墨汁を悪く言っているようで、気がひける。

  それで、今週はその墨汁を擁護してみたいと思うのだけれど、何せほとんど使ったことがないのでたたえようにもその情報がない。

  そこで、数少ないわたしの墨汁体験の中から「後生墨汁に感謝しなければ」と思った出来事について書こうと思う。名刺にはその作品が印刷されているくらいだから、墨が好きで墨汁は使わないと豪語しながら、代表作は墨汁なんだろうか。

  数年前、仙台での野外展に出品した折、それは2週間、公園に作品を放置するものであったから(わたしは頭から「放置」と勝手に思い込んでしまっていたから)、不織布(農業用霜よけ)に白石かずこさんの詩を書き、地面に広げ置いたのだった。

  一方、普通に絵を描いて額縁に入れ、雨が降るたび出したり引っ込めたりしている人もあり、公園の樹の幹に額縁に入った絵が立てかけられてある景色もまた随分面白かった。

  会期中、記録的な大雨が降り、他の人の作品はみな屋内に避難したが、わたしのは、そのまま地面に泥とまみれ、一時は完全に大地と同化。そこに在ることさえ分からなくなった。しかし再び陽が照り始めると、まずうっすらとその不織布の姿が見え始め、繊維の隙間から水蒸気がぷるぷると蒸発する粒になり、地面には不織布が、不織布の上には文字の他に水蒸気の粒々が、という奇妙な書?作品が公園に現れ、そして、その時、後悔したのが、それに墨汁を使っていたこと。

  会期後は捨てるほかないと思っていたので墨を使うのが惜しく、一番安い墨汁を使っていたのだ。

  すると、迂闊(うかつ)だった。墨汁の特性で文字が雨に滲(にじ)んだ。書いた後、乾いても墨汁は水に滲む。そういえば、表具屋さんでわたしの作品が褒められるのは「滲まない!」ということだけだ。表具作業で水分を吹き付けられて滲む墨汁。表具屋さんからいつもそれで泣かされていると聞いていたのに、すっかり忘れていた。磨った墨ならどんな雨でも滲むことはなかったのに…。

  どんどん滲んでくる文字の形に、失敗したと思った瞬間もあった。しかし不思議にも、それが自然になされることのためなのか、ちっとも汚くなく、むしろ少し妖しく美しくさえ感じられ、滲む文字と蒸発しようとする水蒸気の粒には、何か侵し難いものが存在しているように思われた。

  そして、最終日。不織布を剥ぐと、その地面になんと、文字が残されていたのだ。かつてわたしが書いたはずの文字が雨によって不織布を離れ、大地に写し取られ、どこかの知らない人のような顔をしてそこに広がっていた。     (盛岡市、書家)

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