盛岡タイムス Web News 2014年  8月  16日 (土)

       

■  開業100年 脚光再び 踊り継がれる「ヤマ」の意気 八幡平で東京で 戦前と戦後の2種類「松尾鉱山音頭」


     
  柏台地区センターで踊った松尾鉱山音頭  
 
柏台地区センターで踊った松尾鉱山音頭
 
  八幡平市の「松尾鉱山音頭」が、鉱山の開業100周年を迎えた今も、地元や東京都内に受け継がれている。音頭は戦前と戦後の2曲あり、おはやしに耳を傾ければ、鉱山の活気がよみがえる。1969年の閉山以来、長らく途絶えていたが、八幡平市では2012年から柏台地区の盆踊りに復活した。東京都内では、元の従業員らで作る松尾鉱山会が、毎年5月に上野で踊っている。100年の節目を機に、伝統芸能として注目されている。

  戦前の音頭は、1936年に秩父宮が鉱山を視察した記念に作られた。「南部片富士お庭に飾りヨイヤマカセッセ みどりそよ風ヨイヤマカ松尾鉱山」の歌詞で、作詞・遠藤清吾、作曲・武田忠一郎、歌・宇津美清、榎本美佐江、鈴木正夫、喜久丸。戦後の吹き込みで松尾鉱業がビクターから流行歌として発売した。

  作曲の武田忠一郎は東北民謡の父と言われ、邦楽の近代化に大きな足跡を残した。作詞の遠藤清吾は、ミュージシャンの遠藤みちろう氏の父。遠藤氏によると清吾氏は当時、松尾鉱山の診療所で技師をしており、啄木の影響を受けて作詞していたという。戦前の音頭をレコードで聴くことはできるが、こちらの節で踊る人はいなくなった。

  戦後の音頭は1955年に松尾鉱業創立40周年記念に作られた。「はあー丸い丸いよお月さま丸い 松尾の人の和なお丸い」と、軽快なテンポになっている。作詞・藤浦洸、作曲・藤山一郎。歌も藤山氏で、国民的歌手を起用できるほど、松尾鉱業は全盛を極めていた。社歌とともにビクターからレコードが発売された。

  八幡平市松尾の柏台地区センターでは10日、音頭による盆踊り大会が行われた。長らく途絶えていた音頭を復活させたのは、同市柏台の工藤モミエさん(79)。嫁いだ昭和30年代まで、「雲上の楽園」と呼ばれた鉱山では、夏祭りの盆踊りが年一番の楽しみだった。
     
  戦前(左)と戦後(右)の松尾鉱山音頭のレコード(松尾鉱山資料館収蔵)  
  戦前(左)と戦後(右)の松尾鉱山音頭のレコード(松尾鉱山資料館収蔵)
 

  工藤さんは、「そのうち合理化が始まり、閉山してしまった。音頭で踊ることもなくなったが、2年前にまたやりたくなり、鉱山の人たちに聞いて踊り方をまとめてみた。毎年8月にはまたやりながら、子どもたちに鉱山のことを語り継いでいきたい」と話す。

  工藤さんの踊りを受け継いだのは、八幡平市の地域おこし協力隊の今川友美さん(32)。岩手が好きで、転職して活動している。「松尾鉱山が100年になると聞いて何かやりたいと思い、松尾鉱山音頭は欠かせなかった。工藤さんに就いて、300回は特訓した。地域でもっと踊ってほしい」と張り切る。八幡平市立柏台小6年の佐々木大雅君は、「松尾鉱山のことはあまり聞いたことはないが、踊りは楽しいし、簡単」と楽しんでいた。

  松尾鉱山閉山後、従業員は県内外に散らばった。滝沢市には移住者による松尾団地ができ、今も親睦を深めているが、鉱山音頭で盆踊りをすることはなくなった。松尾団地町内会の山下金吾会長は、「鉱山で働いていた人も80歳を越し、伝えるのも大変だが、皆さん懐かしんでいる」と話し、継承は容易ではなかった。

  県内では長らく途絶えた音頭も、東京都内ではしっかり受け継がれている。全国のOBで作る松尾鉱山会の岩崎義一郎会長(89)は、「上野公園前で毎年5月になると90人から100人は集まり、全国から参加して松尾鉱山音頭を踊ってきた。松尾鉱山を離れてもう長いので、日本舞踊をやっている人が受け継いで、今年も30人から40人が輪になった。これからもやっていきたい」と感慨に浸る。

 

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