盛岡タイムス Web News 2014年  9月  8日 (月)

       

■  〈幸遊記〉191 カーメン・マクレエの1973年11月・盛岡


 エラ、サラ、カーメンは1970年代以降の三大ジャズ歌手の名。皆すでにこの世の人ではないけれど、彼女らが遺していった多数のレコードは、そのどれもが皆すばらしい。そのカーメンが表紙を飾った「アサヒグラフ」1973年12月7日号を僕にプレゼントしてくれたのは、高橋日出男さんだった。確か2001年のこと。

  その直後ジョニーに来店したジャズ・ピアニスト故レイ・ブライアントにグラフを見せたら「彼女は昔、僕のボスだった」と懐かしみ本と記念撮影をした。その中に盛岡駅前で小学生たちに囲まれて微笑む彼女の姿も載っている、10nの特集。記事の中に「一行は札幌から飛行機と列車を乗り継いで盛岡へ移動して来たが、コンサート開演時間が過ぎても別便で送った楽譜や衣装が雪のため遅れて着かない(前日会場は函館)。演奏はカウントベイシー・オーケストラ、譜面なしでは音を出せず、ベイシーのピアノで数曲、オーケストラとは1曲だけという寂しさだった」とある。ところが、その時の招聘元だった「もんプロダクション」の社長、故西蔭嘉樹氏が03年にジャズ批評社から出版した「ジャズ・ジャイアンツの素顔」を読んでいたら、その73年のベイシー・カーメンの11月ツアーの事も書いてあって、このジョイントのツアーはどこも大成功。だが事件は盛岡公演の時に起きた。衣装、楽器、譜面の全てを何と次の公演先に届けてしまったのだ。

  結局、楽器は主催者の東山堂が用意。カーメンも普段着のままステージへ立ち、本邦初公開のジャムセッションスタイルのコンサートとなり、ジャズファンは絶賛! 「最後の曲が終って花束を渡す役目の故佐藤祐造さん(当時、新聞にコンサート評を書いていた方)が花束を渡すと、彼女は両手で抱き寄せホッペにチュー!をし、会場大拍手。本人呆然、ベイシーはOh!No!の身振りだった」と、岩手ジャズ愛好会報41号(07・6)に下田耕平さん(ジャズ・ベーシスト)が書いている。

  そのツアーの途中、今はなき新宿厚生年金会館でのコンサートが終った21日の深夜に新宿のジャズ喫茶「ダグ」で彼女は弾き語りのアルバム「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を録音。それは今、僕の愛聴盤になっている。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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