盛岡タイムス Web News 2014年  9月  10日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉238 三浦勲夫 敬老の日


 敬老の日は9月15日。「老齢者を敬う」と書くが、敬う基盤は若年者や幼少年者との心の交流である。心の交流には日頃からの誠意、言葉、行為が伴う。同時に老齢者同士も、敬意、尊重、交流があれば理想的だ。それができるということは、理性も感情も若く柔軟で、活力があるということになるだろう。

  理性的にも、感情的にも、このことが不可能になる段階がやってくる。いくつかの種類の「認知症」である。若年性の場合もある。記憶力が不確かになり、あるいは失われる。周囲の若年者や幼少年者との心や言葉の交流は困難となる。しかし、ある人がいて、その人が認知症の人と意思や感情の交流ができるとする。この人が「介添え」となれば他人との交流がある程度可能になる。たとえば「ほら、盛岡の○○さんだよ」とか「ほら、うちの△▽だよ」などと、旧知の人や家族の人を紹介(説明)する役割である。

  この一言で訪ねて来た人たちも状況を把握し、しらけた気持ちにならなくて済む。訪問を受ける「認知症」の人も雰囲気的に相手の人たちが身近な人たちであることを感じる。正確に思い出せなくても、古い絆を感じることができる。このようにコミュニケーションの「介添え」を行う人は、いわば「認知通訳者」と言える。

  戦前や戦後すぐ、日本人の平均寿命が今ほど長くなかったころは、認知症に至る前に他の病気や年齢で亡くなることが多かった。当時の小説を読むと「肺結核」で命を失うケースがよく描かれる。結核は日本人の「宿痾(あ)」「国民病」だった。その運命的な病気が抗生物質などで克服され、医薬や治療法が発達すると、今度は「がん」と「認知症」が日本人を襲うことになった。「がん」や「認知症」の特効薬や治療法も開発されてきてはいるが、まだまだ開発途上である。あと50年もすれば明るい前途が開けるのではないかと言われている。

  話を戻すと、「認知通訳者」を介在させて敬老精神が通じることが多い。家族の名前も顔も正確には思い出せなくなる。自分が「認知通訳者」になることもあれば、他の人がなることもある。いっそ見ず知らずの他人の方が心の交流は円滑かもしれない。あどけない子どもたちの歌声、遊戯、言葉の響きは、愛らしさを万人に感じさせる。犬や猫でもよい。重度の認知症の場合、優しい気持ちで話し掛け、ほほ笑み、手を取り、被介護者の言葉をうなずいて聞く。大事なものは、理屈より感情、感情より雰囲気であろう。

  瀕死(ひんし)で意識が混濁した病人でも、息を引き取る少し前には、ある程度感覚が戻り、目を見開いて、静かに病室の壁や天井を見詰めるという。幸田文の小説「おとうと」の一節にもある。22歳の姉にみとられて、弟は19歳で、そのように息を引き取る。超高齢者でもそのような場合がある。幸田文はまた自宅で父親、幸田露伴の病と臨終にも付き添った。時代は終戦直後の昭和22年(1947)である。

  現代は病院や施設で臨終を迎えることが多くなった。逆に独居老人の孤独死の場合も多い。肉親や身近な隣人や民生委員が目を配り、気を配っている様子を聞く。認知通訳という考えは自分の思い付きだが、古くして新しい務めである。
(岩手大学名誉教授)


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