盛岡タイムス Web News 2014年  9月  13日 (土)

       

■ 〈体観思感〉 風化と激化 編集局 鎌田大介


 前略、「大新聞」さま。慰安婦問題でのマスコミ同士の応酬がもとで、大変な事態になっております。

  かくいうわたしも8月は、経済トピックにかこつけて記憶の風化に警鐘を鳴らそうと、「若者たちに艦これゲーム大流行」なる記事を書きました。「終戦記念日にとぼけてんの?」と、ある読者にお叱りを受けましたので、その弁明を含め、歴史認識に意見を申し上げます。

  この手の議論がわが国に死活的利害をもたらすのは、むしろ海外においてです。世界的な歴史認識論争の激化と、戦争の記憶の風化は表裏一体にあります。

  「靖国」に見られるように中韓はもとより、日本の歴史認識への欧米の視線は厳しい。しかしそれらの国の人と話してみると、大戦における日米の戦史に、ほとんど知識がありません。

  「真珠湾」「原爆」という世界史の太文字の背景に、「ナンキン」「カミカゼ」などのイメージが浮かぶだけです。先の大戦をまず日本との戦争と回顧するのは、太平洋に面した米西海岸と豪州だけで、東海岸と欧州ではあくまでドイツが主敵、日本は脇役なのです。しかし日本人だって、なじみの薄い独ソ戦のことになるとチンプンカンプンです。

  戦後70年の風化の中、「忘れてはならない」という記憶の強制がイデオロギー化し、手っ取り早くある事件や戦いをシンボライズして批評的な文脈に置けば、歴史的倫理を果たしたと錯覚することがあります。その向きには「強制連行の有無」「虐殺の数」など事実関係の国内論争は、あまり意味を持ちません。

  従って国際世論は、「戦争責任について先進国にふさわしい世界基準を示してやっているのに、細かい議論にこと寄せて、日本人は拒むのか」という論法で来ます。

  そこには自らの側の侵略の過去や、戦後の日本の努力を見ようとしない傲岸(ごうがん)も感じますが、わが国の論壇と欧米の思潮、中韓の言論のフレームはかなり違っているので、致し方ない。

  リベラルも保守も国民の公器に変わりはないなら、この問題で「内戦」に消耗するより、日本が名誉ある地位を占めるよう、言論機関として対外的に知恵を出し合ってはどうでしょう。

  一所懸命(いっしょけんめい)のコンビニが、巨大スーパーの争いにもの申すようで、すみませんが、同業者の端くれとして一筆啓上いたしました。草々。



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