盛岡タイムス Web News 2014年  10月  1日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り─よもやま話〉16 野田坂伸也 成熟する庭


     
  自然風の草むらに囲まれた池  
 
自然風の草むらに囲まれた池
 

 3年前に盛岡の中心部から1`ほど東寄りの、丘の麓にある古い住宅地の庭を造らせていただきました。長く空き家だった住宅を改築し荒れていた庭も改造することになったのです。庭には長径2b近い大きな石が2個と、その半分ほどのやや小さい石1個、それに樹木が数本ありました。大石は庭に入れることができたバックホーでは動かせず、最大の立石はそのまま立てておき、もう一つの横になった石は少し動かしたものの計画した所までは移動できず、その場に置いたままで何とか利用法を考えることにしました。こういう想定外の出来事は必ずしもまずい結果になるわけではなく、この時も築山の一部に取り込むことで面白い効果が発揮されました。

  この庭の最大の特徴は、日本庭園では珍しくないのですが、居間の前に池が造ってあることです。ただし、大きな石で縁どったニシキゴイが似合う池ではなく、ビオトープ風の水たまり(少し深めですが)のような雰囲気の池です。先日久しぶりに訪れて、奥様と新しい植栽地の打ち合わせをしているときに「私、実は池を造るのは気が進まなかったんです」と言われてびっくり仰天したのですが「でも今は池があってよかったと思っています。先日の中秋の名月の時は、月とススキの穂が池の水面に映ってとてもいい眺めでした。金魚も3匹に増えて大きくなり、クモの巣から落ちてくる虫を食べたりして面白いです」と続けられたのでほっとしました。

  その池の縁に生えている草が前回見た時よりずいぶん増えて、周囲をぐるりと取り囲むように茂り、山奥の自然の池かと思うような雰囲気になっていたのに感銘を覚えました。庭が成熟してきているのです。すべての植物がこのように速やかな変化を見せていたわけではありませんが、庭は成熟するということを改めて強く印象付けられました。ただし、成熟と荒廃は表裏一体で、うまくコントロールできれば「成熟」、そうでなければ「荒廃」に進んでいきます。荒廃、というのも人の目から見た印象であり、自然の側からすれば自然の植生の状態に戻りつつあるだけです。

  庭は工事終了時点が終点でもあり出発点でもあります。別の言い方をすれば、直接庭を造るのは庭師やガーデナーですが、庭を育てていくのは庭の持ち主です。施主が庭を育てるといっても、手入れの作業をすべて施主がやらなければならないということではなく、庭師に希望することをはっきりと伝えてどのような庭に育てたいのかを明瞭にすればいいのです。ただ、私が造ってきた庭は日本庭園とは違って草花も木も種類が多いうえ、仕立て樹形のものはなく自然樹形に剪定(せんてい)するため、目標とする庭の形が次第に変化していくという難しさがあります。

  庭が成熟していってどのように収まるのか収まらないのか、私自身が分からないまま手入れしている場合もなきにしもあらずです。(急に不安になったお客さまもいらっしゃるかもしれません。きょうはこのへんまで。)
 


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします