盛岡タイムス Web News 2014年  10月  7日 (火)

       

■  〈おらがまちかど〉33 鎌田大介 盛岡市 天神町内 菅公の裾野に文化の街 天満宮は望郷の丘 村上昭夫ら文人育む


     
  盛岡天満宮から(神社は新庄町地内)から天神町を望む  
  盛岡天満宮から(神社は新庄町地内)から天神町を望む
 

 盛岡市天神町は、学問の神さま菅原道真公を祭る盛岡天満宮が鎮座し、古くから文教地区として発展してきた。かつては「芸術村」と言われたほど文学、音楽、美術に縁が深い土地柄である。

  盛岡天満宮は啄木の望郷の丘。啄木碑のほか、俳人の高橋煙山(1877―1960)、高橋青湖(1889―1980)の句碑が建ち、鎮守は詩歌の森でもある。詩人の立原道造(1914―39)は1938年に、啄木の影を慕って訪れた。「盛岡ノート」に、「僕は東のはづれのちひさい山にのぼった」と記され、そこで啄木の「病のごと思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも」の碑と対面したことであろう。

  天神町には詩人の村上昭夫(1927―68)が暮らし、かつての村上家は空き家で残っている。昭夫の実弟の村上成夫さん(73)は「当時は天神町と言わず、加賀野中道と言った。近くには村上善男さん(美術家)が住んでいて、よく『兄弟ですか』と言われたもの。昭夫は四畳半の個室にいて、詩を書いていた。犬のクロが縁側の下にいた」と思い起こす。名作「動物哀歌」の創作に当たり、住み着いていた黒犬が、昭夫の詩想の主となった。

  成夫さんは「元朝参りには昭夫が『行くぞ』と言って、天満宮から住吉さん、八幡宮、お不動さんと回った記憶がある。いつになってもあの家が心の古里」と懐かしむ。町内には金田一京助の弟で、映画・演劇評論の荒木田家寿(1902―81)も住んでいた。

  天神町自治会の加藤典夫会長は「天神町は文化のある町で、教育的な人が多く住んでいる」と話す。加藤会長は児童文学を手掛け、夫人の和子さん(62)は、中ぶんなのペンネームで「太田カルテット」に取材した小説を書き、中央の出版社から刊行している。和子さんは「太田カルテットは資料を預かって調べながら書き、『光炎に響く』としてまとめた。天神町にも優れた音楽をやっている方が多く住んでいる」と話し、文化の香りに浸っている。
    (鎌田大介)


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