盛岡タイムス Web News 2014年  10月  8日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉404 伊藤幸子 「火山防災マップ」


 天よりはすなほになれと降らせども人は汚れて泥坊になる
                                    江戸狂歌

 宝永4年(1707)10月4日、江戸、東海、近畿に大地震発生、各所で甚大な被害。11月23日には富士山が大噴火、静岡県須走(すばしり)村では全75戸が倒壊または焼失した。火山灰は数日降り続き、20〜30a降り積もった。

  江戸では大噴火後、こんにゃくが飛ぶように売れたという。こんにゃくを食べると腹にたまった砂が取れるという俗信が流布していて、これは今でも信じられているようだ。

  平成26年9月27日(土)「御嶽山噴火」の第一報を私は大相撲中継中の4時ごろのニュースで知った。その日はわが八幡平短歌会の例会日で、午後、市立図書館に集まり、帰宅して大変なことになっていると知ったのだった。夜のニュースは岐阜県側の下呂市から中継で、以前NHK盛岡放送局におられた比田美仁アナウンサーが実況放送で映った。休日の、快晴の、絶好の紅葉日和が暗転、悲報の連続だった。

  岩手山火山防災マップの、火山泥流地帯に位置する私のところは焼走溶岩流から5・5`。松尾寄木地区にあるイーハトーブ火山局の資料によれば「岩手山は今から約70万年前にできたと考えられる。何度も噴火を繰り返し、縄文時代の噴火で現在の薬師岳山頂が作られた。貞享4年(1686)マグマ噴火。享保17年(1732)マグマ噴火で焼走溶岩流ができた。大正8年(1919)水蒸気爆発、大地獄谷、火口周辺に火山灰が10a余降り積もった」とある。

  享保の大噴火の時は「お山ァ七日七夜燃え続けた」と誰もが村の口伝に聞き覚えて育った。わが家には宝暦以前の過去帳は不明だが、獣に荒らされぬよう屋敷内に葬ったといわれる江戸時代後期の石塔群がある。地域には噴火で飛んできたといわれる「叫び石」「いたこ石」「水石」(天辺に水をたたえている)などと命名された巨岩が鎮座している。焼走溶岩流の、流れを止めた崖っぷちを見るたび、よくぞここで止まってくれたと拝みたくなる。

  大正8年の水蒸気爆発以来の沈黙を破り、お山の活動が観測されたのは平成7年9月15日。このころから要観察地域に入り、火山性微動が多くなり、平成10年9月には震度6を記録する地震にスワ、大噴火かとうろたえたことだった。入山規制も何年間かあった。

  私はよく「焼走側は何合目まで車で行けますか」と問われるが「1合目から歩きです」と答える。お山の呼吸を汚さぬよう、怒りのマグマをためないでほしいと願うのみである。
(八幡平市、歌人)



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