盛岡タイムス Web News 2014年  11月  5日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉246 三浦勲夫 コメの命


 伝統的岩手名物の一つが「南部せんべい」。国際化の中にあって英語表現は? 和英辞典だと「せんべい」はrice cracker(ライス・クラッカー)。米で作ったクラッカー。南部せんべいの原料はコメだったかな?麦だったんじゃないの?ならば、「ホィート・クラッカー」となるのだが。

  でも、なぜ「ライス・クラッカー」となった? それは「コメ」を原料とする煎餅も古くからあるから。「米菓」。おそらく、コメを原料とする煎餅の方が、麦が原料の物より高価だった?「貧しい者は麦を食えばいい」と言った政治家も昭和時代には存在した。当時から、米が主食という観念は薄れていたか? 昭和よりも前、それよりもまた昔、農民はコメを作った、武士はコメを食べた。コメは貴重品だった。石高(こくだか)が地位の上下となった。

  コメが国民の主食と言われるようになったのはいつだろう? いつ頃からか言われ、いつ頃からか(あまり)言われなくなった。米の歴史の有為転変。そして今年のニュース。コメが余って、新米価格は下落。米作農家は不安定。本当に気の毒だ。

  コメ、野菜、果実。農産物がいっぱい収穫できた農家。戦後は食料を求める人々が衣類を持って農家を訪れた。物々交換、タケノコ生活で、食料を買い出しに出た。白米、銀シャリは垂涎(すいぜん)の的。食生活が多様化して、和、洋、中華、朝鮮、インド、タイ、東南アジア、それから、と数えれば切りがない。コメは太刀打ちしてきた。

  食生活だけでない。工業化、商業化、宅地化、転換作物。田は売られ、貸され、転用され、稲穂の波は年々、減る。これからどれだけ残るのか。田んぼが減ったけれど、田んぼとともに減った物、なくなった物も多い。あればいいというのでもないが、時と所の変化の中で思い起こせば―。馬、牛、ドジョウ、フナ、ウナギ、タニシ、ヒル、ホタル、トンボ、イナゴ、ゲンゴロウ、ミズスマシ。農具、伝統芸能、方言、田園風景ももちろん。

  今年も収穫が終わった。田んぼの黒土が顔を出し、わらの切れ端が残り、日増しに寒くなる。岩手山は雪化粧。北から吹く季節風。日は暮れ急ぐ。暗く寒い冬。刈り入れ時の金色の穂波と夕焼け。その後に、灰色の空と風。田んぼがすっかり断髪して、つるつるに刈り上げられ、風が身に染みる。心細い。しかしである―。

  「復興米」がある。復興米? そう、大槌町。3年8カ月前。津波で壊滅的被害を受けた跡地に流れ着き、がれきに芽を出し成長した種もみ。海水に耐えた3本の稲。頭を出し、スクスクと伸び、秋には穂をつけ、実を結ぶ。人々に「復興」「福幸」の希望と力を与え、励ました。翌年、翌々年と支援者、ボランティアの力で実を結び、今年の新米からは旅客機のビジネスクラスの機内食となる。JALの決定をテレビニュースで見た感動。

  奇跡の一本松もある。奇跡の三本の稲もある。一本松は惜しまれつつ枯れた。松葉の移植が試みられている。コメも子孫を残した。ふと銚子商業高校の校歌を思い出す。甲子園に何度かとどろいた。「幾千年の昔より海と陸との戦いの、激しきさまを続けつつ、犬吠(いぬぼう)崎は見よ立てり」。コメも縄文、弥生時代から続く。大津波にも耐え、大槌でも命を継いだ。幾千年。日本食の中枢、いや日本文化の中枢である。
(岩手大学名誉教授)


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