盛岡タイムス Web News 2014年  11月  12日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉409 伊藤幸子 「天人・深代惇郎さん」


 ふかくこの短き生を愛すべし面影曳(ひ)きて来り去る雲
                                    橋本喜典

 今生にまみえることができるなら、と私は幾度つぶやいてきたろうか。それは過去の邂逅(かいこう)であったり、あるいは一度も会う折がないまま境を異にしてしまった嘆きも含む。そんな慕わしい方の本が出た。「天人」―深代惇郎と新聞の時代―ノンフィクション作家後藤正治さんの渾身(こんしん)の一巻。

  朝日新聞「天声人語」といえば深代さん、と私は心の深い部分でいつも感銘して読んでいた。天人さんが雪を愛でれば私もその日の日記に「私の米沢に、今宵は止むことを忘れた雪が降りつもる」と書き、氏の読まれた本を知るとすぐ本屋さんに注文して取り寄せた。

  その一書、「斑鳩(いかるが)の白い道のうえに」が今、私の机上にある。昭和50年第1版、私はそのころ福島に住んでいた。「かぜで寝床にふせりながら上原和著『斑鳩の白い道のうえに』という本を読んだ。」との書き出しで聖徳太子の悲劇をあげ、この本が亀井勝一郎賞受賞とも書かれる。

  49歳で世を去った太子の政争のことや、「権力に狂奔し、怨霊におののく古代人たち。いつかもう一度、法隆寺を訪ねてみたい」と結ばれる。しかしその「いつか」は永遠になく、この昭和50年11月1日付の「天声人語」が絶筆となってしまった。

  私は個々に深代天声人語を文庫で読んできたが今回膨大な資料と精緻な人事、昭和の世相、世界観の網羅された本にジャーナリストのたぎる血潮がじかに伝わり、時を忘れて読みふけった。

  深代惇郎、昭和4年4月、東京都台東区浅草橋一丁目、喫煙具の専門店「深代商店」の長男として出生。11年、二・二六事件の年に小学校入学。中学入学時には太平洋戦争が始まっていた。20年4月海軍兵学校78期生、長崎校舎に入学。

  戦後復学、昭和28年東大法学部卒業、朝日新聞社入社。国内外諸々の部門を経て、昭和48年2月15日から「天声人語」を担当。この間、総理は田中角栄から三木武夫へ、石油危機、狂乱物価にトイレ紙買い占め騒動などが起きた。

  深代天人さんの初仕事は、文藝春秋社池島信平社長の追悼文だった。文京区湯島の緬羊会館で心臓発作にて急死の報を得て、予定稿を差し替えて書かれたと聞く。まだファクスなどはなく、オートバイでゲラ刷りを届けたという。

  歳月が過ぎた。昭和48年から2年9カ月のコラム。「一本の鉛筆で数百万の読者を魅了し、限りない敬愛を寄せられていた深代君は、新聞記者冥利(みょうり)につきる…」との弔辞が胸をえぐる。昭和50年12月17日急性骨髄性白血病にて永眠、享年46。
  (八幡平市、歌人)



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