盛岡タイムス Web News 2014年  11月  13日 (木)

       

■  〈風の筆〉76 沢村澄子 傘のそれから 3


     
   台風一過。傘を再設置する公民館スタッフ。池、傘、松、風、光、影、空、ロープ、水紋、人…何が作品かわからなくなる。けれど、対話するから見えてくるものもある  
   台風一過。傘を再設置する公民館スタッフ。池、傘、松、風、光、影、空、ロープ、水紋、人…何が作品かわからなくなる。けれど、対話するから見えてくるものもある
 

 大型台風が来るからということで、作品を一時避難させることになった今年の庭園アートフェスタ。野外展にとって、天候とどう付き合うかはまさに一番の課題。その作業をしていたらお客さんに話しかけられた。 

  「あら。終わり?来るの遅かった?」「いえ。台風避難です。水曜日にまた飾ります」「そりゃ、大変だ。ご苦労さまだね」「また来てください」「来るよ。来るよ。すぐご近所だもの。すぐそこなのサ」と奥さんは指を指す。 

  こんな会話をしていると、「やってるな〜」という実感が湧いてくる。何をやってるかって、一体何なんだかいつもよく分からないのだけれども…。

  愛宕町の中央公民館の庭園は由緒ある立派なお庭で、この催しは「歴史との対話」とか「庭園と現代美術の対話」などと、よく言われている。けれど、その根底、つまりのところは「人と人との対話」でしょ。だから、おじさんと「あの傘の表面テカテカ光ってるのなんで?」「ビニールテープです」「最後に柿渋塗るといいんだよ。風合いもよくなるしサ」「来年一緒に塗ってください!」「え〜っ。オレが塗るの〜?来年?アンタ来年何作るのサ?」と会話になるのも作品のうち。

  一時避難を終えて池に傘を再設置した日は「もりおかミドルアカデミー」の最終講座だった。それで、夜は夜でまた館内で「対話」。

  講座中、これまでのわたしの作品をスライドで見ていただいたら質問が出た。「消えてゆくものも作品なんですか?」作品というものは、例えばガラス付きの額なんかに入っていて、半永久的に存在するものだとその方は思っていらしたようだ。ところが、わたしの作るものは、雨で墨が流れて消えてなくなるとか、字の書かれた風船が水にふらふら浮いて姿が落ち着かないとか、つまりは変わり続けるものが多い。で、結局、会期が終わればなくなってしまう。

  今回の牛乳パックの傘も同様で、撤収が終わればなくなってしまう時の花。予定では「雨ニモ負ケズ」のはずが、実際できてみると「雨ニモ風ニモ負ケソウ」な姿。台風が来た時には「台風ニ負ケタフリ」して避難したが、結局、「台風後ノ突風ニ負ケチャッタ」。でも、大丈夫だと思う。わたしたちは、何一つ、負けてはいないような気がする。

  この世では、たとえニューヨークのビルに飛行機が突っ込んでも、津波で全てが奪われてしまったとしても、その破壊と全く同時に新たな秩序が生成している。コワレタと涙する一方、同時に、ウマレタことを喜ぶこともできる。そこで発揮される想像力・創造力があしたを作り、それらの結果が歴史を作ってきた。
  無常。その中で、わたしたちは、壊れてはいない。負けてはいない。日々、絶えず、新しくいる。
(盛岡市、書家)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします