盛岡タイムス Web News 2014年  11月  30日 (日)

       

■ 三ノ丸で新たな石垣発見 第34次発掘調査 盛岡城跡の説明会に50人


     
  盛岡城跡公園内で新たに発見された石垣を見る説明会の参加者  
  盛岡城跡公園内で新たに発見された石垣を見る説明会の参加者
 

 2015年度以降に計画する石垣解体修理を前に、10月1日から盛岡城跡三ノ丸で実施中の第34次発掘調査現場の現地説明会(盛岡市教委主催)が29日、盛岡城跡公園内で行われた。今回の調査では、未確認だった石垣など新たな発見があった。あいにくの雨にもかかわらず現地説明会には、市民ら約50人が参加し、石垣などから読み取れる盛岡城の歴史に思いをはせた。

  新たに発見された石垣は、「明和三年書上盛岡城図」(1766年)で現在の三ノ丸北西下斜面部分に描かれているものと見られる。1906年の岩手公園開園直後に作成された「岩手公園全図」には、石垣ではなく土手として表現されている。このことから、石垣は城内の建物が撤去された1874年から公園開園までの約30年間に石垣上部が解体され、残された部分も地中に埋められたと推測される。

  今回の調査では、基礎部分の根石を含め3段の石垣が確認され、石垣を安定させるために裏側に盛られる栗石も見つかった。南側に接する三ノ丸北面石垣の根石との位置関係から、本来であればさらに上部に4、5段の石垣が積まれていた可能性があるという。

  盛岡市教委歴史文化課の佐々木亮二文化財主任は「あるかどうか曖昧だったが、調査であることが分かったのは大きな成果。盛岡城の場合は、これから整備を進める上で、明治期に改変された場所も当時の姿に戻す部分があるので、今回見つかった石垣も今後の整備計画の中で材料になる。(明和三年書上盛岡城図の)図面通り出てきたということも、表現が正しいということの証明になる」と新たな石垣発見の意義を語った。

  現地説明会では、盛岡城が第1期(1598年〜)から第5期(〜1874年)まで、石垣の造られた時期によって構築方法が異なることなども市教委職員が説明した。どの時代に石垣の石が造られたかは、矢穴と呼ばれる石を割るためのくさびの大きさからも分かり、後年の構築時には新しい石に混じって古い石も活用されていたことがうかがえる。

  説明会に参加した盛岡市の大矢正典さん(71)は「こういう石垣があるとは全然知らなかった。古い図面があって、その図面通りと立証できたこともすごい。ふるさとガイドをしているので、いろいろ石垣とかは知識として持っているが、今後は新しい石垣のことも加えたい」と話した。


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