盛岡タイムス Web News 2014年  12月  6日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 鎌田大介 詩人と赤れんが


 
 今年は立原道造の生誕100年にちなみ、「盛岡ノート」の今昔を訪ねた。盛岡に詩人来訪のしるしはほとんど残っておらず、滞在先だった愛宕山の四戸孝丸さん宅に、当時の座卓や直筆の色紙があるだけ。東京の立原道造記念館は閉館してしまい、愛読者は寂しい思いをしているらしい。

  そこで提案があるのだが、文化財として公開される中の橋際の岩手銀行の赤れんがに、立原コーナーを設けてはいかが。赤れんがは東京駅と同じく、辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司の設計。建築家としての立原は東大工学部で3年連続、辰野賞を受賞しており、母校の巨匠の名を冠に建物とは接点がある。赤れんがは立原作品に登場するわけではないが、詩人が遊んだ古き良き盛岡のシンボルとして、展示の器にふさわしい。

  立原だけでなく、設計者の辰野・葛西の資料を集め、二人を建築史上で顕彰するのはもちろん。もう一人、鹿島組2代目社長として日本近代建設業の基礎を築いた、盛岡出身の鹿島精一の事績も展示してはどうだろう。

  盛岡には原敬・米内光政・新渡戸稲造、啄木と賢治など政客文人の立派なミュージアムはあっても、実業をテーマにした記念館がない。建築界の先人たちを軸に、近江商人の系譜や、もちろん岩銀など地銀各行も含めて、わが国経済に盛岡人が残した足跡を紹介する。

  出張してきた人を案内すれば、ビジネスの話も弾もうというもの。詩人・建築家としての立原は、啄木・賢治青春館や深沢紅子野の花美術館へ、格好の動線の役目を果たすはずだ。

  ロマンチストすぎて建築家として大成しなかった立原は、東大工学部のおっかない先輩方との同居を嫌がるかもしれないが、ここは盛岡の観光振興のため我慢してもらおう。

  本紙の連載を終えた直後の11月、取材で大変お世話になった四戸さんの訃報に接した。おそらく立原をじかに知る最後の人だった。ご冥福をお祈りしたい。


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