盛岡タイムス Web News 2014年  12月  10日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉251 三浦勲夫 一枚の葉


 「最後の一葉」はオー・ヘンリー(1862―1910)の傑作短編である。登場人物はジョンジー(若い女性画家)、スウ(同居する若い女性画家)、ベアマン(酔いどれの老男性画家)である。場所はニューヨークの芸術家志望者が集まるワシントンスクエア。貧しい者同士の暖かな心の交流の話である。

  あらすじは―。ジョンジーは流行中の肺炎を病み、生きる希望を失っている。向かいの建物の壁に絡まるツタの葉が落ちつくすと自分も死ぬと思っている。スウからこの話を聞くベアマンは同じ建物の地階に住むが、もう絵筆をとらなくなった老人。無情の嵐が来て一枚を残し、最後の数枚の葉を落とす。翌日も嵐。全部散ったかと思われたが翌朝、葉が一枚だけ散らずに残っている。ジョンジーは生きる希望をつなぐ。嵐の晩にベアマンが壁にはしごをかけて描いた葉だった。ジョンジーは奇跡的に回復するが、ベアマンは風雨に打たれ、肺炎にかかって死ぬ。一枚の葉が、彼の残した傑作となった。

  日本には同時代に樋口一葉(1872―1896)がいる。O・ヘンリーより10歳若い。家父長制度の社会にあって、学校教育も受けさせられずに、才能と努力で文壇に登場し、24歳で結核のため夭折(ようせつ)した女性である。「おおつごもり」「十三夜」「たけくらべ」「にごりえ」などの傑作を残した。「にごりえ」とは「濁り江」すなわち「濁った入り江」である。黒く濁った水路に囲まれた「新吉原」の遊郭、そこに生きる女性たちの悲しい日常生活がある。古い文体ながら、写実的に日常を活写している。活写の基盤は、一葉が父亡きあと、戸主となり、家族の生活を支えるために、一年間筆を置き、新吉原の付近で雑貨駄菓子屋を営んだ経験であった。日本国憲法が男女同権を公布したのは1946年、一葉亡きあと50年を経た。古い時代、ハンディを負いながら、それをはね返そうと苦闘した。

  「一葉」を話題に取り上げたのは、これからの日本の内外を考えたからである。最後の一葉が枯れ落ちるように日本は脱力するのか。それとも逆転の希望をつなぐのか? 大きな鍵は、社会の強者と弱者の格差を縮め、国際協調を巧みに計っていくことだろう。子ども、女性、老人、外国人、そして十分に働く機会を得られない若者たち。今日、この人たちの生活環境を改善することが緊急の課題である。子どもに教育を、女性に社会進出を、老人に活力と活動を、外国人に文化、政治、経済的理解を、若者たちには現在の安心と将来への希望を。そのためには、財政的な裏付けと社会意識の向上とが問われる。

  他面では、各自の自立した生活意識、社会人としての貢献が問われる。議員や職員や民間人による社会福祉予算、復興予算のつまみ食い、老人を狙う詐取なども防止し、厳しく取り締らねばならない。日の当たらない部分に光を当てるべく、税金の使途は厳しく監視されるだろう。日本には言葉も「葉」であるという観念がある。それはひらひらと舞う軽い物でもあり、繁茂する物でもある。「枝葉末節」と言われながらも、落ち葉は腐葉土となり、次世代の繁栄を約束する。クリスマスや歳末は家庭愛、同胞愛の機会でもある。31日は「おおつごもり」。今年は「十三夜」の月も2度見られた。今年最後の暦のページを暖かく大きな最後の「一葉」として、新年を迎えたい。
   (岩手大学名誉教授)


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