盛岡タイムス Web News 2014年  12月  11日 (木)

       

■  〈風の筆〉80 沢村澄子 「歯を磨く」


 口の中で違和感がしたと思ったら、奥歯の詰め物が取れていた。薄い座布団のように乗っていたもので、接着剤の寿命だったのだろう、ほろりと取れた感じ。

  飲み込まなくてよかったと思いながらそれを持って歯医者さんに駆け込むと、「新しいのを作らせてください。これまた付けたって来月取れますよ。こんな薄いのじゃなくて凹凸のついた形にしましょう」というわけで、30年近くお世話になった詰め物にさようなら。うい〜〜ん、うい〜〜んと、音だけは痛く聞こえるが麻酔のおかげで何も感じない治療の間中、それを詰めてくれた歯医者さんのことを思い出していた。

  若い先生だったがすごく熱心な人だった。まさに歯に命を懸けてる、って感じ。感受性も洞察力も豊かで、患者の痛みや不安に対する対応も手厚かった。とにかく打算なく一生懸命なので、不埒(ふらち)なわたしとて真面目に通うしかなかったが、熱心すぎて戸惑うこともないわけではなかった。その最たるものが歯磨き指導で、毎回試薬で調べられる。磨き残しが6%以上あると次の治療に進んでもらえず、歯茎をあと1_下げて!なんて真剣に言われるから、ひたすら必死に歯を磨いた。

  ところが、母校書道科の合宿に一週間ほど行くことになり、そこのスケジュールでは食後3度3度しっかり歯を磨くことなどできない。帰ってきたら磨き残しが15%と出てしまい、その途端…。白衣の胸ポケットからグイっ!と歯ブラシを取り出してそれを握りしめながら先生が言った。「どうして食後3回3分以内に3分間の歯磨きができませんかッ!あれほど言ってるのにーッ!」。え、えっ…。わたしは口が利けない。まず、白衣のポケットから歯ブラシが飛び出してきただけでも十分驚いているのに、それをぎっちり握りしめてドアップ、真顔で迫られると何て答えていいのか…。

  結局何も言えなかった。しかしこの時とっさにわたしが思ったことは、いや悟ったことは「歯がカンペキになってもシアワセにはなれない」ということ。不思議なもので、人間追い詰められるといろんなことを思う。

  その後引っ越して、その歯医者さんには行っていない。いや、そこだけではなく、歯医者さんに25年以上行かなかった。数年前、硬い物をかんで奥歯が割れ、それからちょくちょくお世話になることになったのだが、この歳でこの状態はまずいい方だと言われてびっくり。実は、30年間ずっと、自分の歯磨きの適当さに罪悪感がつきまとっていたから。あの先生に診られたら怒られるだろうなぁ…と、毎晩ドキドキしてた。

  「その時の歯磨き指導に感謝しなさい」と今の歯医者さんに言われる。その通り!と思いながら、今夜も歯ブラシを握る。余談になるが、歯ブラシを使うことは、書の筆を使うのに通じるものがある。その弾性を十分生かすと歯ブラシも筆も長持ちするし、歯茎も書も気持ちよくなる。
     (盛岡市、書家)


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