盛岡タイムス Web News 2014年  12月  31日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉254 三浦勲夫 年賀状


 年の瀬もきょう一日となった。年末の仕事に世間は駆け回ったが、年越しそば、紅白歌合戦などのテレビ番組、除夜の鐘で一年を締めくくる。自分も仕事の合間に年賀状を書き上げて投函(とうかん)した。あすの元日に配達されるだろう。

  今年受け取った年賀状を見ながら一筆を添えるときに、自分とその人との関係を思い起こしたり、初めて会った時のことなども思い出したりした。こちらの近況も書き添えた。教室で会う若い学生の姿を見、会話を聞くと、若い息吹に触れる。生涯学習会で年配の人たちに会い、話をすると、人生の経験、知恵、仕事への根気に触れる。

  実生活では苦労も多く、不幸にも見舞われる。今年送られた喪中あいさつの中には、かつて20代の時、仕事場で出会った人もいる。自分は勉強を大学院で積もうかなと思っていた。彼も20代で新たに教員生活を開始したばかりで、まさに「袖振り合うも多生の縁」だった。その縁を大事にして年賀状の音信を続けたが、3年前に会ったのが最後になるとは、思ってもいなかった。残された夫人には丁重なお悔やみを差し上げた。

  自分の20代を振り返ると、風に舞う種子のようだった。風に運ばれて、着地して、幸いそこに根を張った。種子は1個ではなく、何個かあった。ということは、根を張れなかった種子もあったということだ。これは自分だけではなさそうだ。仕事、恋愛、結婚、人間関係など、人はいくつもの機会と可能性を秘めているが、そのことに気付かないで、結果的に「わが道」をたどる。

  メールで年賀状を出せば、多くの人に一斉に出せる。手軽で便利である。しかし、同じ文面をさまざまな年齢層や交際履歴の人たちに送ると、内容は紋切り型になる。自分も紋切り型のあいさつをはがきに印刷するが、空白部には受取人にできるだけふさわしい内容を手書きする。その部分に苦労と時間がかかるが、今年は差し出し期間に間に合った。

  話しは変わって、江戸・両国橋に飛ぶ。「年の瀬や水の流れと人の身は」と俳人、宝井其角が俳諧仲間、すす払いの竹売りに変装した大高源吾に発句で問うた。源吾は「あした待たるるその宝船」と付け句した。其角には真意が疑問だった。新年のめでたい運を祈ったと思ったか、宝井に掛けたユーモアと思ったかもしれない。分かったのは、その夜、赤穂浪士四十七人による、吉良邸討ち入り(元禄15年12月14日・1703年1月30日)が成功した後だった。殿中の刃傷沙汰や仇(あだ)討ちは江戸時代の封建制度下でもご法度だったが、庶民の人情は権力によるパワハラへの一大抗議をたたえた。今でも東京都港区高輪の泉岳寺にある四十七士の墓には線香の煙が絶えない。

  だしぬけに四十七士に話が飛んだのは、父の話が頭に浮かんだからである。現・盛岡市玉山区藪川にあった旧・宮内庁御料牧場出身で、地元の学校から盛岡中学校に進学した。郵便馬車で帰省するたびに郵便配達をしていた旧同級生が「定夫さん、盛岡の話、聞かせて」とたずねる。「○○さん、大高源吾、聞かせて」と父が問うと「大高源吾は橋の上―」と得意の講談の一節を聞かせたという。大正13年(1924)前後だろう。郵便が貴重な情報と文化を山奥まで届けていた。今は両人とも亡くなっている。
(岩手大学名誉教授)
 


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