盛岡タイムス Web News 2015年  2月  11日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉260 三浦勲夫 「たしなみ」


 佐藤愛子の『老残のたしなみ』(集英社文庫)を、暇にまかせては、笑いながら読んでいる。副題に「日々是上機嫌」とある。最初、書店で買ったときは『老残のたのしみ』だと思った。日々是上機嫌、だからである。「たしなみ」であることに気付いたのは50nほど読んでからだ。内容は、楽しみばかりではない。

  たしなみ?「好んで行うこと」である。「酒はたしなむ程度」。こう聞くと、ほんのちょっと飲む程度、と思われる。事実は「酒に飲まれず、おぼれず、酒の良さを味わって楽しむ程度」となる。漢字で書くと「嗜む」。ところが、もう一つ「たしなむ」があって漢字で書くと「穴冠に君」と書き、「悩む、苦しむ」を意味する、という。またもう一つあって、「嗜」の口偏を取って「老いる、年を取る」だ、という。一読者の私は「好んで行うこと」がこの軽妙な本の第一義であると取った。

  「老残」とは自虐的なユーモアである。卑屈にならず、悲観せず、上機嫌で、それを受け止め、暮らす、その心とは、いかならん?一章の題からは、「世を憂い怒って楽しむ」ことらしい。老いた人間の喜怒哀楽が、年の甲の中からにじみ出る。「苦しみ、悩む」という「たしなみ」の別義から逃れ、自由になる。このように、解釈させてもらった。

  「十年ひと昔」だが「十年ひと未来」とは言わない。まだ老齢期に遠い時は、「ふた昔」でも「み昔」でも構わない。前途洋々の未来がある。それを過ぎ、老齢期にさしかかると、せいぜいが「中長期的」とか「短期的」未来である。片目で未来を見据え、他方の目で、洋々たる(?)過去の蓄積を顧みて、一日一日、日々を暮らすのが「たしなみ」だろうか。そこには、ポンポンと威勢よく、啖呵(たんか)も、冗談も、苦言も飛び出す、佐藤愛子流の嘆きもあれば、憤りもあれば、喜びもある。

  そのような威勢はすべての人が持てるものではない。自分は、威勢よりは、せいぜい慎重さを持ちたいと思う。「老残」の影に覆われる前に、それを見据えて、身辺整理を心掛けたい。家族、子孫に迷惑をかけたくない。家、土地、家財道具、書籍など。それは「断捨離」の整理であったり、「継続」の管理、整備であったりする。

  本も新たに買うことは必要最低限にして、いろいろな図書館を利用する。読書時間も、仕事時間と振り分けて、頭も疲れない短時間で読む。能率が必要になる。現在、大学は期末試験中である。学生は、限られた時間で、多くの科目の試験準備、レポート書きなどをしなければならない。睡眠時間を詰めるか、学習能率を上げるか。反省して、これからは普段から学習をしっかりと行い、試験準備を早くから行うか。

  自分の大学時代の期末試験を思い出す。就活には、人物、健康、学業が重視された。学業では「優」の数が物を言った。風聞では、20個は必要だった。1年の時は「優」がわずか1個。「えっ」と驚いたが、2年で4個。まだまだ。3年、就活前の「優」獲得の最終機会。本気を出して16個。合計21。若ければ、無理が利く。初めは振るわなくても、その気次第で挽回できる。自分の体験談はそれくらいだが、転職も経験した。10代、20代は人生の基盤を固める時期。若い時期も苦しかったり、苦かったりする。
(岩手大学名誉教授)


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