盛岡タイムス Web News 2015年  2月  16日 (月)

       

■  〈幸遊記〉214 照井顕 チャーリー・パーカーのバードランド


 今年から、ブルーバード・シルフィーのハンドルを握っている。コロナ・エクシブという中古車に10年乗って僕が16万`走ったら太陽燃え尽きコロナが出ず泣き別れした。どちらも初売りで買ったのだが、店も10年前と同じ。担当者の遠藤忠臣さんは「一時、会社を辞めて戻ってきたら、また、照井さんが僕から買ってくれてうれしい」と涙目。盛岡ナンバー・1424。かつて四十四田ダム近くにあった僕のカレー店「1244」と重なった。

  ブルーバードで浮かぶ曲は「青いカナリヤ」カナリヤで、思い出す歌詞は「うたを忘れたカナリヤはー」で、頭の中には「奏家(カナリヤ)は歌を忘れず、歌手は奏者を忘れず!」とダジャレが浮かぶ。新宿のジャズスポット「J」(1978年開店)のバードマン・幸田さん(タモリの親友)は、いつもニコニコ。サックスも吹く、幸せな鳥男(バードマン)さん。

  サックス吹きのバードマンといえば「バード」と呼ばれたチャーリー・パーカー(1920〜1955)。ディジー・ガレスビー(1917〜1993)らとともにビバップ・スタイルのジャズを創出した第一人者。NY在住のジャズ・ピアニスト穐吉敏子さんによる「彼のアパートからサックスの音がしないのは、彼が留守の時だけだったそうですよ。それだけ猛烈に練習した人」との話を思い出す。その穐吉さんの「1980・in・陸前高田」のCDを昨2014年に僕が発売したら、バードマン・幸田さんが6月24日付「赤旗」日曜版に紹介記事を書き、開運橋のジョニーまで来てくれたことなど、とてもうれしかった。

  チャーリー・パーカーが、なぜ“バード”と呼ばれるようになったかは、1940年、テキサス州へ車で公演に出掛けた時、1羽の鶏を引いた。その時パーカーは両手で頭を押え金切り声を挙げ、引き返して鶏を拾い、包んでホテルに持参し、フライドチキンにしてもらい、それを食べたという。以来、彼は“バード”とか“ヤード・バード(ニワトリ)”と呼ばれるようになり「ヤード・バード組曲」などバードにちなむ曲をいくつも作曲演奏した。1949年には「バードランド」というジャズクラブがNYにオープン。彼が亡くなる1週間前の1955年3月にもそこに出演していた。そんな話をジャズ講座でしゃべったら、菊地章子(のりこ)さんが「それこそが命の尊厳というものですよ!」と言い、僕を含め皆を感心させた。(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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