盛岡タイムス Web News 2015年  2月  25日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉262 三浦勲夫 写真展


 春めいた一日、肴町かいわいを歩いた。昔、この辺りに住んでいたので、懐かしい地区だ。当時と今の情景が重なって見える。かつて歩いた道、買い物した店、渡った橋、岩手公園(盛岡城跡公園)。街は変わったが、記憶は変わらない。この辺りに来ると、過去がよみがえる。世は変わり、発展した。人も、世代も変わり、昭和の歌でいえば、「川の流れのように、いくつも時代は過ぎた」。

  歩いたのは、古本屋、「新本」屋、デパート、そして写真展会場(プラザおでって、Kフォトクラブ主催)である。20点の作品全部が約1・2b四方の大型で、印画紙を二つに切って、巧みに張り合わせてある。大型であるが、解像度が鮮明である。写真はふつう、1秒の何分の一かの露光で、一瞬の被写体を狙う。その一瞬を根気よく、何十分も、何日も待つ。切り取った瞬間の、表情、背景、光と影が、写真が語る物語となる。スチル(静画)がアニメ(動画)となり、サイレント(無声)がトーキー(有声)となる。

  中に、暗い雨の夕刻に、2秒もの光を取り入れて、高いビルから、下の街路を行く車の列を撮影した作品があった。2秒間に車は移動する。ヘッドライトとテールランプが黄と赤の帯を引き、舗装にもそれが映る。2秒の始点から終点までの車の動きが光の帯でとらえられ、静止する路面や建物と対象をなす。「光跡」(小原徳兵衛氏)という作品だった。

  他の作品にも物語があった。画面いっぱいに、メッセージを伝えていた。昼の光の作品の中で、「光跡」は暗い空間に、2秒間、レンズを向けて、少ない光を増量し、時間の動きを光の帯で表した。平面上に、俯瞰図の立体陰影があり、2秒間の時間の経過をレンズ(人造の目)で捕えた。人間の網膜であれば、残ることのない運動映像である。

  仮にこれを肉眼で、連続する残像をこま送りでとらえられれば、過ぎ去った時間をさかのぼることができる。3秒前の位置、1時間前の形態、1年前の配置、と。ふつうは、不可能である。可能であるとすれば、それは、幻視とか、心霊術とか、鋭敏な想像力の世界になるだろう。精神的な残像である。佐藤愛子さんは「心霊オタク」といわれているようだ。現代人が失った、原始的な本能、感情、感覚が、人間に感じ取らせるものが「心霊」である、と述べておられる。

  ロボット(電子頭脳)が将棋や囲碁の名人を負かす。そのようなことをIBM日本支社の機関紙に書いたら、没にされ、怒った同氏は、送られて来た原稿料を送り返した、という。時代は進み、それは絵空事ではなくなった。ロボットと人間との違いは、前者が後者の「感情」を持たないことだとされる。しかし、これも、アニメの世界では90年代に否定され、人間感情を持つサイボーグが誕生した(「攻殻機動隊」;The ghost in the shell)。

  写真展を見た日、肴町、中ノ橋通辺りを歩き、現在の建物、道路、人、川、山、公園を見、何十年も昔からの光景がよみがえった。ウェアラブル端末を目や耳に着けて、時代をすり抜け、半世紀も前の地区かいわいに滑り込める日が来るかもしれない。そのような霊能的な技術が開発されるまでは、霊能を求める人は、恐山にでも行って、巫女(みこ)を手掛かりに、故人の声や意見を聞くことになるのだろう。
   (岩手大学名誉教授)


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