盛岡タイムス Web News 2015年  2月  26日 (木)

       

■  〈うえだ今昔物語─盛岡市先人記念館資料より〉A 山崎円学芸員 ─グミの木に同心町の面影─


     
  現代の上田組町  
 
現代の上田組町
 
  江戸時代、城下から外部に通じる街道沿いの通りは組町と呼ばれ、そこには同心の屋敷が建てられていました。さらに、同心が組町に住んでいたことから、組町のことを同心町ともいいました。上田かいわいにも組町があり、上田に位置していたことから上田組町と呼ばれました。そして、そこに住む同心は、城下町盛岡の北の関門の警護を任されていました。道路の両側にかやぶきの屋敷が建ち並び、その周辺は田んぼでした。なお、上田組町は、岩手県立中央病院の立体駐車場脇からNHK盛岡放送局方面に向かう通りに位置していました。

  また、上田組町のどの屋敷にもグミの木が植えられていました。それが上田組町の名物となっていたので、上田組町をもじって「上田ぐみ町」と呼ばれたといいます。現在も上田組町にはグミの木が植えられている屋敷が残されています。

     
   
     
  上田組町には、盛岡三十三観音第十八番札所にもなっている正覚寺があります。正覚寺は寛永3(1626)年に建てられた浄土宗の寺院です。山号は十劫山(じっこうざん)といい、盛岡市本町通にある大泉寺の末寺にあたります。正覚寺のお堂は、安永7(1778)年の町内の火災により焼失しますが、元治元(1864)年に再建され、昭和になってからも増改築が行われ、現在に至ります。

  現在、岩手県立中央病院が建っている場所には、かつて専売局がありました。盛岡駅前にあった工場の老朽化により、大正15(1926)年に専売局盛岡出張所の工場と事務所が上田に移転されたもので、これにより、道路や水道などの整備が進み、上田組町は発展しました。その後、専売局は昭和47(1972)年には盛岡市みたけに移転し、日本専売公社盛岡工場と名称を変えています。
  (山崎円学芸員)


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