盛岡タイムス Web News 2015年  3月  1日 (日)

       

■ 試練越え青春の指針 もりおか復興推進しぇあハート村 江良さん(盛岡医療福祉専門校)が卒業 大槌町に帰郷し保育士に


 

     
   「大槌はいいところがいっぱい。近所づきあいも濃厚で祭りも盛り上がる。若い人に、たくさん来てもらいたい」。白銀恵里香さん、江良冬美さん、支援員の武田利都子さん(左から)  
   「大槌はいいところがいっぱい。近所づきあいも濃厚で祭りも盛り上がる。若い人に、たくさん来てもらいたい」。白銀恵里香さん、江良冬美さん、支援員の武田利都子さん(左から)
 

 盛岡市が、盛岡で学ぶ沿岸被災地の学生を支援するために開設している「もりおか復興推進しぇあハート村」の復興支援学生寮=同市本宮5丁目=から今年は学生5人が巣立つ。このうち、盛岡医療福祉専門学校保育福祉学科3年の江良冬美さん(21)は4月から出身地の大槌町にある保育園の保育士となる。東日本大震災から間もなく4年。多くの出会いを糧に、新たな一歩を踏み出す。

  「変わったよね」「けっこう、いろんな引き出し持ってるよね」―。卒業を控えた2月、江良さんはルームメートで同じ専門学校で学ぶ白銀絵里香さん(21)と、震災からの日々を振り返った。2012年に入寮。仲間や支援員に支えながら、児童福祉の勉強を続けてきた。

  「前はコミュニケーションを取るのも苦手。引っ込むタイプだった。今は人にちゃんと自分の思いも伝えられるし、人と関わるのも好きになった」。少し照れながら、自分自身の成長をかみしめた。

  忘れられない光景がある。2011年3月11日。大槌高校2年だった江良さんは、地震のあと、学校の体育館で、同級生らと避難してくる町の人たちを受け入れる準備をしていた。町が波にのまれるのを見て泣き出す人、「毛布を」「ストーブを」とわれ先に手を伸ばす人―。騒然とする中、幼い園児を連れた先生だけは、子どもたちをしっかり抱きかかえ、静かに励まし続けていた。このときのりんとした姿が、ぼんやりしていた進路に「保育士」という目標を与えてくれた。

  江良さんは海岸そばの安渡地区の生まれ。幸い家族は無事だったが自宅は流失。震災から4年がたつ今も父母や妹、姉一家は仮設住宅で暮らす。高校時代は仮設住宅に移るまで吉里吉里地区の高台にあった祖母の家からバスで学校へ。友達の何人かは避難所の体育館から直接、教室に来ていた。

  全国から届く支援物資、ボランティアの支援、慰問公演―。震災前とは全く違う日常に追われながら「ちゃんとしなきゃ」と自分に言い聞かせた。

  しぇあハート村は盛岡市が、都市再生機構(UR)から、土地区画整理事業のために建設した戸建て住宅の寄贈を受けて開設した。学生寮のほか、復興支援団体の活動拠点などもあり、地域の人との交流が盛んだ。学生たちは戸建て住宅を数人でシェアして暮らす。江良さんにとって、親元を離れるのはもちろん、家族以外の人と一緒に暮らすのも初めての体験。戸惑う日々、力になったのは家族の励ましと多くの人との出会いだった。

  実際の保育の現場で実習を重ねる中で、子どもの成長に寄り沿う仕事の重みも少しずつ分かるようになった。大槌町の海を望む高台には、震災で亡くなった人と心で話す電話ボックス「風の電話」がある。昨年5月の保育園実習では、この高台を訪れる保育園の遠足に同行した。先生は、その場で、園児たちに、風の電話をモデルにした絵本を優しく読み聞かせた。

  「だんだん震災を覚えている人は少なくなって、過去のものになってしまう。いかにそれを未来に託していくのか」。自分が将来、やるべき仕事の一端を垣間見た気がしたという。

  「小さいときは一瞬。震災を伝えていかなければいけないし、一人ひとりにいろいろな体験もさせたい。保育って奥が深い」と気持ちを引き締める。

  江良さんの良き相談相手だった白銀さんも、横浜市内の保育園への就職が決まった。「自分の親も共働き。時々、遅い時間まで残り、寂しい思いもした。けれど、一緒にいてくれた担任の先生がすごく面白くて、迎えの時間まで、のほほんとして過ごせた。今度は自分が逆の立場になって、寂しい思いをしている子の役に立ちたい」。働く場所は違っても、志の根っこの部分はつながっている。

  二人の成長を見守ってきた、しぇあハート村支援員の武田利都子さん(43)は「保育士は人を育てる重要な仕事。これまでの経験を生かして、子どもを大きく受け止められる人になってほしい」とエールを送った。



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