盛岡タイムス Web News 2015年  3月  3日 (火)

       

■  〈イタリアンチロルの昼下がり〉221 及川彩子 天正少年使節団の道


     
   
     

 ポルトガルの首都リスボンから、スペインとの国境方向へバスで2時間。唐傘松やオリーブの木が整然と並ぶ平原を行くと、中世の佇まいがそっくり残るエヴォラという街があります。緑の海に浮かぶ、小島のようなこの街は世界遺産として知られます。私たち家族が訪ねたのは、昨年の晩秋でした。

  人口5万人、赤れんがの屋根に白壁の街並み、迷路のような小路[写真]で、道行く人は気さくに声を掛けてきます。身振り手振りの触れ合いは、旅の醍醐味(だいごみ)の一つです。

  2世紀のローマ時代の神殿、水道橋、修道院など、見どころの多い街ですが、私たちの一番の関心は、16世紀、天正遣欧少年使節団がこの地を訪れたこと。13歳の日本の少年4人が歩んだ道をじかに感じたかったのです。

  当時、リスボンに次ぎ、カトリック大司教の街として繁栄したエヴォラ。使節団の団長、伊東マンショが弾いたというパイプオルガンの残る大聖堂を訪ねると、天を突く荘厳なゴシック建築の空間に、飛び出すかのような大オルガン、天使の羽のようなパイプ、それはまるで海原を行く帆船のようでした。

  ポルトガルの宣教師によって洗礼を受けた少年たちが、欧州のキリスト教体験目的で長崎を出発したのは500年ほど前。インドから南アフリカ回りという2年半もの苦難の航海の末、リスボンに到着しエヴォラへ。その後スぺインからローマ法王謁見(えっけん)のためイタリアへと歩いた行程は8年にも及びます。

  遠い異国の少年たちが、何を心に背負い、オルガンに座り、信仰とはいえ、どんな思いでこの石畳を歩いたのか。私たちには到底味わうことのできない興奮は、恐れさえ入り混じった喜びだったに違いありません。

  コロンブスやバスコ・ダ・ガマが、新大陸発見に乗り出したこの国に「日のいづる国」の足跡を残し、帰国後は、豊臣秀吉を前に西洋音楽を奏でた少年たち。こうして、日本の国際社会の扉は開かれたのです。


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