盛岡タイムス Web News 2015年  3月  5日 (木)

       

■  〈風の筆〉91 沢村澄子 皮肉屋さん


 たまにいるじゃないですか。話してて、すごく面白い人。スカッとする人。

  先日そんな人と電話でしゃべっていて、仕事の用なのに痛快で、大笑いしたわたしが感心しながら、「やっぱ(り)わたしは、△△さんが好きだわ〜」と言うと、間髪入れずに「△△のどこが好きなんでしょうか?」と聞き返されて、「えっ、えっ、えっ…」しどろもどろ。返事ができなかった。

  「これが真剣勝負だったら死んでる」と、完敗のわが身を猛省。そう、年下の青年にもこうしてポロリと気の利く人がいるから、日々油断は禁物である。しかし、ただひたすら真面目な人だと思ってたのに、いつの間にこんなことを言うようになったのかしらん。

  その後その「どこが好きか?」に「皮肉屋のところかな…」と返したら、「人を見くだしたりはしていません」と言うから、「誰も、人を見くだすような人を好きではないでしょ」と展開して、結局、「皮肉」とは何か、を考えることに。

  『大辞林』には、「相手の欠点や弱点を意地悪く遠まわしに非難すること」と説明されていた。しかし、△△さんにそんな意地悪な感じがするわけではない。彼の話を聞いていると、いつも内心クックッと笑えてくるし、時にはプッと吹き出し笑いしてしまうくらいだから、そこに攻撃性はないと思われる。それで、彼の「皮肉」を別の言葉にしようと半日ほど腐心していたら、「直球でない愛情」というフレーズが出てきた。

  皮肉というものは、時に遠まわしな愛情表現なのではあるまいか。テレの多い人、ストレートな感情表現が得意でない人に、皮肉屋さんは多いように思う。皮肉が必ずしも、チクリとしたイヤミ、とは限らない。

  ブラックユーモアというのもこの親戚筋で、もしかしたら△△さんはこちらの所属なのかもしれないが、長い日本、北から南まで同じ日本語を使っているようでいてその実は、そこで伝えようとされている内容に随分な違いのあることがある。一口にユーモアといっても難しい。盛岡に住んで長いのにいまだ、幼年期を大阪で過ごしたわたしは、日々日本語を日本語に訳しながら暮らしていて、にもかかわらず、笑わせるつもりがその場を凍らせ、相手を怒らせてしまうことが、どうしてもなくならない。

  つい先日も、太極拳の教室で、わたしたちの超独創的自由な太極拳まがいの振り付け運動に、先生がおっしゃった。「皆さん!皆さんはきっと、頭はいいのでしょうが、体がバカなんですね!」。頭で分かっていても、体はその通りに動きませんよね、といった意味であろう。わたしは笑った。しかし、この発言もちょっとシニカルなのか、笑えない人もいたようで、その時、隣人が耳打ちで「私は体だけでなく頭もバカなのよ」と言うから「そりゃぁ、最強ですね。怖いものなしでしょう!」と返したら、いやはやまた、まさかの沈黙。そして、そうかそうか「そんなことはありませんよ。お上手ですよ〜」と返事すべきであったと気付いたのは、真夜中、湯船に浸かっていてのことだった。
     (盛岡市、書家)


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