盛岡タイムス Web News 2015年  3月  12日 (木)

       

■  〈うえだ今昔物語〉3 盛岡市先人記念館資料より 小路にいきづく武家の町


     
  現在の上田与力小路跡を望む  
 
現在の上田与力小路跡を望む
 

 上田かいわいには、上田三小路と呼ばれる地域があります。上田三小路とは、与力小路、上田小路、上田新小路の三つの小路を総称した呼び方です。小路とは狭く細い通りのことですが、ここでは屋敷が並んでいた地域のことをいいます。

  与力小路は、現在の岩手大学南門(岩手大学農学部附属植物園入り口)が面している細い通りに位置していました。与力とは、警察のように治安維持にあたる人々のことです。与力小路は、元和元(1615)年に与力たちが居住する地域として設けられたといわれています。

  上田小路は、JR山田線梨木町踏切から岩手県立中央病院方面に向かう通りに位置していました。上田かいわいは、安永7(1778)年に夕顔瀬付近から出火し、河北地域まで延焼した大火の被害に遭っています。この火災の後に新しく屋敷群が造成され、上田小路は与力小路とともに武家屋敷が並ぶ地域となります。

     
  現在の上田新小路跡  
 
現在の上田新小路跡
 

  上田新小路は、現在岩手大学構内にある農学部附属植物園のあたりに位置していました。城下で屋敷が不足したため、上田新小路は嘉永5(1852)年に居住地域として新しく設けられました。今も道路となっている与力小路や上田小路と違い、上田新小路のあった面影を道筋から感じることは難しくなっています。しかし、農学部附属植物園内に「上田新小路跡」と書かれた標柱が建てられているので、今も場所を知ることができます。また、「山邊のマツ」や「目時のヒバ」といった屋敷があったころの庭木が今も農学部附属植物園内に残されています。

  そして、明治以降上田かいわいは、武家屋敷の並ぶ侍の町から文教地域へと変化していきます。
(山崎円学芸員)


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