盛岡タイムス Web News 2015年  3月  18日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉427 伊藤幸子 「本の虫」


 黒服の春暑き列上野出づ
               飯田龍太

 「人生、何が起こるかわからない。七十七歳の今日までその思いを何度体験したことか。最初のショックは、大学卒業式当日の、突然の母の急病死であった」という悲痛な体験が述べられるのは故児玉清さんの「すべては今日から」の章である。しかもそのとき病院に駆け付けたタクシーが当時の都電にぶつかり、九死に一生を得られたという。

  一体誰が自分の未来を見通すことができるだろうか。学習院大を卒業し、大学院進学を決めていたのだが母上の死で急きょ就職へと進路変更。すでにどこの企業でも新入社員入社式を済ませたところだった。

  そのとき、運命の一通ともいえる不思議なはがきが舞い込む。なんと東宝映画撮影所からの第十三期ニューフェイス第一次審査合格の通知と第二次面接試験に撮影所へ来るようにという通知であった由。

  昭和33年の春から夏へ、当時難関といわれていたニューフェイス試験に、なぜ合格できたかを考えた結論は、「俳優になろうと考えていなかったから」と皮肉な答え。第一、自分で応募の申し込みをしていない。面接には1時間以上も遅れた。帰ろうとしたら受け付けの人に「そんなに簡単に諦めていいのか」と言われ、ふと審査場に行こうという気になった。この昭和33年は最高の観客動員数を記録した年で若手俳優の絶対数が不足という映画全盛期であった。

  いつの間にか映画界で10年が過ぎ、テレビの新天地を求めて東宝撮影所専属から離れて独り立ち。フジテレビ系の「マジメ人間」(山口瞳原作、早坂暁脚本)で確実な手応えを得て「俳優こそわが天職」と感じ取った。

  さて、正義の人、反骨の人、学究の人、そして何よりも思いやりに満ちた人と言われる児玉さんの痛恨の章「祈りの旅路」は切ない。2002年、37歳の娘さんをがんで亡くされた。「なんであのとき、ぎゅっと抱きしめてあげなかったのか」と悔やむ親心が胸をえぐる。

  2009年冬、岩手県民会館で児玉さんの「ブックレビュー」公開放送があった。NHK盛岡放送局の利根川真也アナウンサーの進行。私はそのとき、決して檀上から見えるわけではないのにベージュのカシミヤコートがエスキモーのようで恥ずかしいと妙に気後れしたことを今も覚えている。

  児玉さん急逝から4年、誰もがたどる人生の岐路を思い、今また「寝ても覚めても本の虫」を読み返している。

(八幡平市、歌人)



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