盛岡タイムス Web News 2015年  4月  22日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉270 三浦勲夫 画竜点睛、ダルマの目


 金子みすずの詩「星とたんぽぽ」の第1節は、星は昼には見えないが、見えなくても、ちゃんとあるんだよ、と教える。「青いお空のそこふかく/海の小石のそのように/夜がくるまでしずんでる/ひるのお星は目に見えぬ/見えぬものでもあるんだよ/見えぬものでもあるんだよ」。

  その逆に、「目には見えても心に見えぬ」例もよくある。40a四方の小型DVDプレーヤーを、探すこと2年。探しては止め。止めては探し。でも諦めきれない! 移動学習会のアイテムだった。それを10日前に発見した驚き! 床に積み重ねたアルバムの上に、薄い段ボールのケースがあった。ローマ字でメーカー名。開けてびっくり玉手箱。出てきたのだ、幽霊みたいに。早速、試運転。OK、大丈夫。

  「またっ?」と家人に言われそうなので、何食わぬ顔、驚きを殺した顔で、試運転して、呼吸を整えた。人生、諦めてはならぬ。諦めても、絶望してはならぬ。代替え策を模索せよ。その上で、諦めるなら、きれいさっぱり、諦めて、転進、まい進、である。ここで、一件は落着したのだが、次いで第2、第3の逆の事例が持ち上がったのは、皮肉だった。こと多かりし新年度の出鼻となった。

  しっかり、ちゃんと、目に見える。目を凝らして、何度も忠実に、言われたとおりに、操作する。しかし、ITマシーンは、いっかな言うことを聞かない。こちらは心で叫ぶ。「見えるけれども、ないんだよ!」。一つは現金自動預入引き出し機。ATMである。もう一つは、県立大学の一般検索シラバスである。

  近所の金融機関。一万円を夕方に引き下ろそうとしたら、「時間外、手数料がかかります。よろしいですか?」「いいえ」「取扱いを続けますか?」「いいえ」。ところが機械は、最初の画面に戻り、「時間外で手数料がかかります。よろしいですか?」「いいえ」「取扱いを続けますか?」「いいえ」。何度も繰り返す。カードも通帳も返してくれない。不承不承諦めて、手数料を払い、1万円を下ろした。その日は金曜。月曜を待って、抗議に赴く。「かくかくしかじか。夜に、ATMを試してください」。その結果、銀行側も不備を認めた。しかし、「手数料はお返しできません」。代わりに景品をたくさん持って、謝罪に来宅。「上に報告します」の言葉がせめてもであった。

  もう一例は県立大学の一般閲覧用「シラバス」(授業内容)公開。私が担当する1年のクラスのシラバスが何度、ためしても、開けない。翌日、事務員に電話で聞くと、「開けますよ」。「どうすれば?」「名前を入れれば、開けます」。名前はきちんと入れているよ。心で叫んで、試みる。やはりダメ。直接、現場で、事務員に対面して、問いただすと、求められていたのは、氏名ではなく。姓だけだった。「名前」って、「姓」のこと!?

  この2件、コンピュータープログラマーの、日本語の問題である。コンピューター言語ではなく、日本語の問題である。プログラマーのグラマー知らず。画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く。絵に描いた画餅(がべい)。ダルマに入れる最後の目。あの目玉がない。自分の目も、時にはあってなきがごとし。プログラマーにグラマーなきがごとし。便利の不便。
(岩手大学名誉教授)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします