盛岡タイムス Web News 2015年  4月  30日 (木)

       

■  〈風の筆〉99 沢村澄子 春の畑


     
   
     

 そろそろ本格的に畑仕事が始まる頃だろうか。

  桜が行ってからというもの、ウチの庭の雑草もしきりにおがり始めた。

  近所にとても働き者の奥さんがいて、その奥さんの作っている畑を見るのがとても好きなのである。

  気取ってなくて、実直で、豊かで、力や温もりのようなものがあって、散歩途中に眺めるたび、その畑には教えと学びがあった。

  いいなぁと思って、真似っこを始めたのは数年前。1畳ほどをブロックで囲い、土を入れてトマトなど植えてみたのだが、全くダメで、見事にダメで、とにかくダメで、思わずその奥さんに駆け寄ると、「トマトくらい簡単なものがダメだって、アナタも随分器用だね〜」と、大いに笑われた。

  「どうしたらいいんでしょう?」「何もしなくていいサ」「何もしないんですか?」「何もしなくていいでしょ」「何もしなかったらできなかったんですが」「まぁ、草くらいは抜いてやってサ」「それができないんですよね…」また、笑われた。

  その後、ウチのトマトは、できたりできなかったりで、苗のことや、土のことや、肥料のことや、その他もろもろ、年々少しずつは学習しているつもりなのに、それが収穫には皆目つながっていない、今のところ。

  いや、その奥さんの仕事ぶりを見るにつけ、自分に畑はムリだと、とうの昔にアキラメてもおり、ところが、それでも、雑草に負けじと背を伸ばした痩せプチトマトの、その赤い実をむしって、そのままそれを口に放り込むのは楽しい。

  去年、その奥さんの畑のフェンスに立派な朝顔が咲いたので、その写真をここの記事に載せさせていただいたのである。そしたら先日、「今年もまた、写真撮っとくれよね。いろんな花が咲くからね〜」と言ってくださった。それで、わたしは「はーい!」と、返事。

  その翌日撮ったのがこの写真である。3月、まだ雪が降ったり解けたりを繰り返している頃だった。

  この時、よそさまのフェンスに身を乗りだし、ケイタイの小さな画面をのぞいてシャッターを切っていたわたしに、「そうか」「そうだ!」という思いが走った。

  もう始まっているのだ、畑は。いや、もっと正確に言えば、畑は続いていたのだ、休むことなく、雪に埋もれた、この冬の間も。

  この畑には、去年の秋の名残もあれば、この冬の間の休息もあり、休むと同時の蓄積もあれば、そこに生じた新たな命もあった。

  そしてそれは、畑に限ってのことではない。この世の全て、あらゆることが、見える見えないにかかわらず、しかし、間違いなく、間断なく、ただひたすら、ただひたすら、未来永劫(えいごう)、続いてゆくのだ。

  そして、そう思われたこの時、今一番の不安が、わたしの頭をよぎった。 

  この数年、わたしは無性に、「いつかの戦争」が肌に感じられて、怖い。

  突然、熟したトマトが現われ出てくることのないように、爆弾やミサイルも、ある日突然、この頭上に墜ちてくるのではないのだと思うと。
(盛岡市、書家)


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