盛岡タイムス Web News 2015年  5月 12日 (火)

       

■  〈おらがまちかど〉57 盛岡市 山岸銭神沢下地区 愛宕山から盛岡見守る 岩谷稲荷神社 5年ぶりに大人神輿(馬場恵)


     
  創建305年目を迎えた「岩谷稲荷神社」  
 
創建305年目を迎えた「岩谷稲荷神社」
 

 「ワッショイ、ワッショイ」。9日夜、盛岡市山岸の愛宕山中腹にある「岩谷稲荷神社」のかいわいに、威勢の良い掛け声が響いた。毎年5月9日が同神社の例大祭。今年は土曜日に当たり、子ども神輿(みこし)の7基のほか、大人の神輿も5年ぶりに繰り出し、地域の絆を強めた。

  日中は山岸さんさ踊りの門付けがあり、夕方からは社務所前の神楽堂で、民謡や民舞の余興も。地域の民謡サークルを夫婦で主宰する筒治龍之介さん(67)は「親の代から大事にしてきた年中行事。自分たちも、できる応援を続けたい」。山岸さんさ踊り保存会副会長の高野文則さん(61)も「神輿やさんさ、地域の伝統を感じられるものを、ぜひ、残していきたい」と力を込めた。

  同神社は、第32代南部利幹が1710(宝永7)年6月10日、盛岡城内の榊山稲荷の分社として建立した。歴代藩主の信仰も厚く、「玉集庵沽蘭」の俳号を持つ第35代利正は1782(天明2)年4月に参詣し「神領の餘花や岩根の藤涼し」という俳句を残している。

  祭神は倉稲魂命と建御名方命。商売繁盛、家内安全などの神と言われ、一帯を見渡せる高台から300年以上、地域の趨勢(すうせい)を見守ってきた。

  藩政時代、交通要所に当たる山岸は城下盛岡の北東警備の最前線だった。「御弓町」という足軽同心の組町があり、「桝形」と呼ばれる関所の先が閉伊街道。閉伊街道は、小本や野田などの海産物を牛の背にのせて盛岡城下へ運んだ「塩の道」で、重要な交易ルートだ。「御弓町」という旧町名は今でも町内会名に残されている。

     
   5年ぶりに奉納された大人神輿。現代のライフスタイルに合わせ祭りが土日に当たったときだけ奉納すると取り決めてある  
   5年ぶりに奉納された大人神輿。現代のライフスタイルに合わせ祭りが土日に当たったときだけ奉納すると取り決めてある
 


  現在、同市中央公民館が建つ場所は、薬草が植えられ、庭園でもあった「御薬園」。岩谷稲荷が建立された愛宕山の麓は、城下の奥座敷としての一面もあり、大正時代になると財界人が遊興を楽しめる「岩谷温泉」を造営した。後に岩谷温泉は別の財閥の手で高級別荘「紫草園」として整備され、平民宰相原敬も、たびたび訪れたという。

  街道沿いのほかは、水田や桑畑が広がるのどかな地域だったが、昭和の高度成長で、地域の様相は一変。住宅団地開発が進み、住人も大幅に入れ替わった。岩谷稲荷の祭事も、一部の有力者だけでは立ちいかなくなり、現在は山岸9町内会長が責任役員を兼務し地域行事として継承している。

  今年の大人神輿には各町内会から総勢60人の担ぎ手が集まった。責任者を務めた御弓町内会長の堀合新吾さん(64)は「昔から住んでいる人も、新住民もこだわりなく結束を固めていかなければいけない。向こう三軒両隣、顔が見える関係が理想。山岸の住民あってこその神社。地域のコミュニティーづくりの一つとして祭りも盛り上げていければ」と話す。
(馬場恵)


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