盛岡タイムス Web News 2015年  6月  3日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉276 三浦勲夫 火宅


 地震、雷、噴火、津波などは自然災害だが、火事は人災である。火の不始末から起きる。「火宅」とは燃え盛る家であるが、古くは、「煩悩が盛んで不安なこと;現世;娑婆(しゃば)」(広辞苑)の比喩だった。「火宅」となる前には、俗に「火遊び」がある。また、「いさかいの絶えない家は火事になる」という俗説もある。

  実際の火災を起こさなくとも、不安や不満や鬱憤(うっぷん)が、ともするとくすぶる。欲求不満は、自分の強い欲求が、自他の原因で満たされないところに生じる。財力、快楽、名声などが思うように手に入らない。不満であり、不安であり、ねたみが生じる。

  古来の人の知恵に、時に教わり、はっとすることがある。自分の火種、人の火種。いろいろな火種が飛び交って、いつ「火宅」となって、自分の家が焼けるかも分からない。いや、口論や議論も、案外、「火宅」要素の不満が下敷きになっていることが多そうである。その時は、「水」を用意するか、「過熱」防止を図らなければならない。

  自然には逆らえない。東日本大震災以来、余震や火山噴火が日本列島を襲う。異常気象が、山崩れ、地滑り、大洪水などを引き起こす。犠牲者は、家を失い、命を失う。同情はするが、犠牲の連鎖から、身を守らなければならない。冷静さも必要である。

  戦後70年になる。戦災から復興を遂げ、日本の経済力は世界第3位と言われる。戦争被害も免れている。暮らし向きは一般的にはよくなった、と感じられる。しかし、良くなっていない人たちがいて、「格差」であると言われる。経済、欲求、名声などの格差部分が「火宅」を引き起こし、殺人、いじめ、虐待などの報道が相次ぐ。東証指数がバブル期の最高値を超えたからといって、国民全体が生活水準を向上させているわけではない。第二次大戦の戦勝国にあっても、事情は同じである。人種・異民族差別、外国人労働者排撃、警察官による容疑者殺人など、戦勝国の国民に「火宅」の炎が燃え盛っている。福祉が発達すれば、それをあてにして怠惰、ぜいたくを求める国民が増える。

  数日来、仕事のため日中、気分転換の「歩行」ができなかった。緑の木、鳥の声、色とりどりの花も見られなかった。それで夜間歩行となった。「今頃?気をつけてよ」と家人に言われながら、白っぽい物を着て50分ほど、深夜でも安全と思われる国道46号を歩いた。途中には交番もある。昼とは違う、夜11時すぎの夜景を見た。

  舗装修理の工事は、そこだけが明るく、交通整理の人が2人、赤い照明棒を振って声をかける。「通り抜けですか?」「いや、曲がります」。そこを過ぎて交番までの暗い部分がかなり続く。後ろから、携帯電話で大声で話す、若い女性が足早に私を追い抜く。なんでも、最近、女性が夜歩きする時には、護身のため、携帯電話で友達と話しながら、歩くそうだ。助けをすぐ呼べる。そうしながら夜歩きできるだけの平和感はある。

  家近くの暗い、細道では、黒い小さな物が二つほど、前方を向こうへ移動する。「錯覚か?」。わが家の玄関前が明るい。そこをクロネコが通って、庭に消えた。最近、うわさの野良猫か。翌朝、その姿を付近で見た。夜は、花の匂いが昼よりも強い。夜のウオーキングに、個人的な火宅の不安はなかったが、サスペンスの緊張感はあった。
   (岩手大学名誉教授)

 


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