盛岡タイムス Web News 2015年  6月  4日 (木)

       

■  〈風の筆〉103 沢村澄子 熊野古道A 「王子の道」


     
   湯川王子は九十九王子のうち比較的格式の高い准五体王子として、また道湯川の氏神として祭られてきた。道湯川は昭和30年代から無人となったが、平治の乱でも活躍した湯川一族発祥の地といわれ、往事はかなり栄えたと思われる石垣などが残る  
   湯川王子は九十九王子のうち比較的格式の高い准五体王子として、また道湯川の氏神として祭られてきた。道湯川は昭和30年代から無人となったが、平治の乱でも活躍した湯川一族発祥の地といわれ、往事はかなり栄えたと思われる石垣などが残る
 

 熊野古道の随所に、不寝(ねず)王子、近露(ちかつゆ)王子、継桜(つぎざくら)王子、発心門(ほっしんもん)王子といったような王子名の石碑がある。

  これは、12〜13世紀ごろ、京都から皇族・貴族が熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ参るにあたり、その先達を務めた修験道行者を祭った神社があったところで、いまだ社のあるものもあったが、現在ではほとんどが石碑のみ。その熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)の九十九は実際の数ではなく多数を表し、最後101番目の多富気(たふけ)王子跡は那智大社入り口、大門坂近くにあった。

  延々と杉林ばかりが続く中辺路(なかへち)では、所々でその碑に出合うことが、ことのほかうれしい。「やっとここまで来た」「次の王子まで何`だ」と自分へのテコ入れにもなったし、その名の歴史的由来にもそれぞれロマンがあって、知れば面白いのである。

  例えば、「近露」は花山天皇が詣でた時、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、カヤの茎を折って箸にし(箸折)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられている。行者を守護する神仏が童子(王子)の姿で現われることが多いので、祭られている神のことを王子といったらしい。

  かつては後鳥羽院や藤原定家、和泉式部も詣でた道だと資料館の記録にあった。おかしかったのは、書の名手でもあった定家がそのきれいな字で泣き言をつづっていることで、熊野古道の厳しさは、古今、平安平成を問わず変わらぬ様子。泣いたのはわたし一人でないと知って、少し気楽に。

  十丈(じゅうじょう)王子近くの休憩所で雨宿りを兼ねてお昼をとっていたら、小柄な青年がやってきた。傘もささず、カッパも着ないで、金色の髪が濡れて、クルクル巻き毛になっている。たどたどしいとも流ちょうとも言えない日本語で、「コンニチハ」とあいさつされた。

  しかし、こちらに語学力がないため会話は弾ます、何となく気詰まりのまま並んでのランチ。それでも、英国産チョコレートをもらったり、日本産ビスケットを返したりしての物々交流のうち、彼が数学者であることが分かった。

  北陸のある大学の招きで日本に来たこと、彼を招いた学者が動物の生態?を関数?に用いている人?であるため、その研究を請けて?彼も鳥の調査をしている?と聞いたようだが、何せコトバがうまく解せないのでよく分からない。それでも、「ホーホケキョ」という声がすると、「この鳥は何か」と聞かれるのである。ウグイスを英語で何ていうのか知らないから、困った。

  するとにわかに、彼がリュックからぶ厚い本を取り出した。厚いって、本当に厚みが10aもあろうかという鳥の図鑑である。驚いた私が「Oh, my God. It's too heavy(まぁ…重かったでしょう!)」と口走ると、まなざしを強くした彼が「Knowledge is heavy(知識は重いサ)」と言った。

  チャオ!とウインクするイタリア男みたいな軽妙さや明るさこそなかったけれど、さすが王国仕込み?の威厳あるウイットに感服。王子の道では王子に会う。
     (盛岡市、書家)
 


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