盛岡タイムス Web News 2015年  6月 16日 (火)

       

■  〈幸遊記〉230 照井顕 盛岡駅前の日米合作


 「開運橋のジョニー」が盛岡に来た2001年時の名は「陸前高田ジョニー」だった。行きたいが場所が分からない!といろんな人から言われ続けたことから、陸前高田を、開運橋に変えたのが03年、あれからちょうど12(ジョニー)年になる。「開運橋のジョニー、いい名前ですね」遠来のお客さんが皆、口をそろえる。地元や盛岡を知る人には開運橋だけで場所の説明にもなり、郵便も盛岡市と店の名前だけで届くありがたさ。

  その開運橋は今、塗り替えのための足場組み立て工事が、深夜10時から朝6時まで行われ化粧直しが終わるのは12月。橋の歩道上に工事用のチカチカ灯が並んでいるのを見て浮かんできたのは宮澤賢治の「そら青く開運橋の瀬戸物のランプゆかしき冬をもたらす」の大正時代のうた。2015年の3月まで400回以上も本紙盛岡タイムスに「賢治の置土産」を連載した岡澤敏男さんの小泉とし夫名による「開運橋、大河の岸のネムの木の、茂みに今年も、泳ぐきんとと」のうた。

  賢治作は当時できたばかりの鉄骨製橋の欄干に瀬戸物製の油壺付きランプがともされていた様子をうたったもの。とし夫作は、最近まで橋のたもとにあったネムの木に咲く、あかい金魚みたいな花が、それこそランプのようにともっていたうた。また「開運橋、遠い旅から戻って来た、雪のアーチの、白いリベット」では「2度泣き橋」(開運橋の別称)の由来話まで頭に浮かぶが、盛岡に転勤で来た人は、その後皆、出世するとのうわさを聞くが、何せ2度泣き橋と言ったのは、かつて日銀盛岡事務所長の古江和雄氏だったそうだから、うなづける話。

  僕の店も今はアメリカの古いジャズもアナログレコードで聴かせるようにしたが、それまで35年間続けた日本ジャズ専門からの大転換だった。それは僕にとって不思議ともいえる自然さだった。その原因もやはり橋にあったのだと今にして思う。盛岡駅ができた明治23年(1890)、石井知事が有料橋として造った開運橋。その木造橋は何度か流され、大正3年に永久橋としてアメリカに発注した2連のトラス橋。当時は第一次世界大戦の最中、届いたのは1連、もう1連は海に沈められたために日本で製造、大正6年(1917)6月完成。まるでジャズ物語のような日米合作開運橋なのでした。現在の橋は昭和28年(1953)の完成!
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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