盛岡タイムス Web News 2015年  6月 18日 (木)

       

■  〈風の筆〉105 沢村澄子 熊野古道C仏さんの国 神さんの国


     
   神倉神社から見る新宮市内の街並み。神倉神社は熊野権現が諸国遍歴の末、最初に降臨した場所といわれる。世界遺産とはいえ生活感にあふれ、現世の喜怒哀楽、人も神も、美醜丸ごと味わえる感じがよかった  
   神倉神社から見る新宮市内の街並み。神倉神社は熊野権現が諸国遍歴の末、最初に降臨した場所といわれる。世界遺産とはいえ生活感にあふれ、現世の喜怒哀楽、人も神も、美醜丸ごと味わえる感じがよかった  

 熊野本宮大社に詣で、湯峰温泉に泊まった翌日、今度は新宮(熊野速玉大社)を目指すべく川を下った。

  バス停でガイドさんが待っていてくれて、わたしより先にバスを下りた外人さんのカップルとあいさつ。その様子が既に何やらほほ笑ましく、これは楽しい船旅になるゾ、と思う。

  熊野川町から権現川原までの16`を90分で下る船は小型で、ガイドさんと船頭さんを入れても総勢7人。船頭さんは櫂(かい)も携えているが、船にはエンジンも付いていた。

  コースは起伏に富み、その場その場で聞かされる神話も面白く、ガイドさんはそれを日本語と英語で話す。齢(よわい)60代に見える彼女は、中学か高校の英語の先生を終わっての再就職かしら…と想像させたが、利発でキュートで思いやりが深く、とにかく聡明な人だった。

  彼女を最も感じたのは笛を吹いてくれた時。ここの船下りでは、おのおのガイドさんが一芸ご披露するしきたりなのだそうで、歌う人、手品をする人、ほかさまざまあるそうだが、彼女は篠笛だった。そして、決して決して上手ではない(失礼!)たどたどしいとも言えそうなその笛の音を聴いているうちに思わず涙が落ちてきて、この世にはこんな優しい人もいるんだなぁ…と。

  川面の緑ともブルーとも言えそうな水の色を讃えたら、船頭さんが「自分たちが子どもの頃にはこんなもんじゃなかった」と言う。

 確かに、杉林を出てからの風景はどこもかしこもそう特別キレイではない(失礼!)。世界遺産とはいえども、ここの景色を見て感動するというようなことはないのではないか(失礼!)。むしろ、辺りは極日常的な光景にあふれていて、船から「ここはゴミの焼却場」なんて指差されたりもした。

  「だから、どうして外人さんたちがわざわざここに来るのか不思議なんです」とガイドさんが言った。「でも、多いですよね。右も左も外人さんで、自分が外国にいるよう錯覚します」とわたし。「皆さん、そうおっしゃいます。日本人は大型バスでドっと来て、サっと拝んで、パっと帰る。熊野古道を歩くのは外人さんばかり」「確かに。でも、ほらあそこ。やっぱり神様がいるみたい」わたしがそう小島の頂を指差すと、「この辺りはどこもかしこも神さんばかり」と彼女が俯いた。


  「ずっとこの土地ですか」と、わたしは聞いた。「いえ。嫁いで来て」。すると、後から「どこからお嫁に来たんですか」という質問。「○○県から。でも、あっちは仏さんの国でこっちは神さんの国。そやけど、仏さんの国も神さんの国も、どっちも、男社会…」。

  わたしは笑った。が、いつもの大口開けてのアハハ笑いではない。無論、嘲笑や冷笑でもない。どうにも彼女がいとしくてならず、自身には珍しい静かな笑み。

  米国からの二人にこの話は訳されなかった。彼らこの時、後の席でイチャイチャ、チュチュチュ。けれど、もし女にそこを超える道があるとするなら、男にだってその道はきっとある。

  梁塵秘抄(巻二)はいう。「熊野古道へ参るには紀路と伊勢路のどれ近し、どれ遠し。広大慈悲の道なれば、紀路と伊勢路も遠からず」。  (盛岡市、書家)



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