盛岡タイムス Web News 2015年  6月 25日 (木)

       

■  〈風の筆〉106 沢村澄子 熊野古道D「海辺の道」


     
   熊野詣を済ませた行者や巡礼者が通ったという大辺路。高野坂付近。砂浜から山道へと、密林のようにムッとした茂みが続く  
   熊野詣を済ませた行者や巡礼者が通ったという大辺路。高野坂付近。砂浜から山道へと、密林のようにムッとした茂みが続く
 

 田辺市の滝尻王子から東へ東へと紀伊半島を横断。所々をズルしてバスや船に乗りながらも、泣き泣き中辺路(なかへち)を歩き、本宮、新宮へと参った。

  新宮から熊野三山の最後、熊野那智大社への道は太平洋、大海原に面す。

  その大辺路(おおへち)を新宮から三輪崎までは徒歩で、そこから紀伊勝浦まではJRで。突然、視野が大きく開け、景色は一変。これまでの杉林オンリーから植栽も大きく変わり、まるでどこか亜熱帯の国のような、湿気を帯びた熱っぽい風景となった。

  そんな山道の隙間隙間から、あるいはズバリ砂浜を歩きながら海に臨むと、きのうまでの孤独が急にないでくる。杉林の中ではあんなにも一人だったのに、ここでは何か、返って来るものがあるような。海で叫ぶ人が多いのも分かる。海には寛大な呼気があった。

  しかし、海と言ってもさまざまである。日頃、三陸海岸に見慣れていると、ここ紀伊半島から向かう太平洋というものはまた、同じ海といっても随分と趣の違うものだ。昔暮らした新潟から見た日本海とも全然違う。茫洋(ぼうよう)とだだっ広く、取りとめもないようなその姿態。海ってこんなにも屈託のないものかと、この日、目前の海に眺め入った。

  紀伊勝浦駅から熊野大社、大滝までの6`は2時間半をかけて再び歩く。 

  熊野古道に突入して3日目くらいから徐々に筋肉痛も収まり始め、身体も慣れ、日増しに元気を取り戻す方向にあったが、が、しかし。やはり、最後の大門坂あたりは難関である。これが初日だったら上り切れただろうか、と思いながら急な坂を一歩一歩上った。 

  その道の杉の隙間から、すぐ脇を走るヘアピンカーブの車道が見える。マイカーやバスで滝を目指す人々が続々と行く。それを次々見送りながら、ハアハア、ハアハア、息を切らせた。

  子どもの頃、親に連れられ、車で何度か参った那智の滝。ン十年ぶりに臨んでみると、昔より小さく感じるのは、自分が大人になったから?

  その足下で拝むには300円が要るというので、今回は遠目に手を合わせるだけにした。それまでだって、どこもかしこも、犬も歩けばみたいに神様に当たる熊野古道で、朝から晩までさい銭を投げる日々が続いていたし、最後の大門坂のダメージでリュックから財布を取り出すことさえ、おっくうになってもいて、いや、何よりもうすでにはっきりと、参拝が目的ではなかった。

  さりとて、ではなぜ熊野古道へ、と聞かれても、あれから3カ月近くたつ今でも、わたしは答えに窮するばかりだ。いつかのオーストラリア人の夫婦みたいに、「歩くのが好きだから」とも決して言えない。

  しかし、不思議なのは、あれだけ泣いたのに、あれだけつらかったのに、あんなに杉ばかり、同じ景色の連続でとことんイヤになったのに、喉元過ぎたのだろうか、わたしはまたいつか熊野古道を歩きたいと思っている。今回はわずかばかりだった海辺の道や、さらに厳しいといわれる高野山からの小辺路(こへち)にもいつか挑戦できたら…。

  まこと、路(道)とは不思議なものだ。
     (盛岡市、書家)


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