盛岡タイムス Web News 2015年  7月 8日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉443 伊藤幸子 「98年の歌紀行」


 いちじくの木が裏庭にありしこと秘密めきたり七十年前
                                    宮英子

 午前4時半、新聞が届いた。6月30日、雨は落ちていないが雲が垂れこめて暗い朝だ。県央紙には「平泉世界遺産の日」に合わせた登録5周年記念事業実行委員会による登録4年目の29日の「平和の祈り」の模様が報じられている。大泉が池の龍頭鷁首船が鮮やかだ。

  そうして社会面を開いて驚いた。「宮英子さん、歌人「コスモス」発行人、26日午後3時4分、胆のうがんのため自宅で死去、98歳」との33行の記事。新聞を手にしたまま思わず「せくぐまる」という古語が口をついて出た。

  いつかはこの日が来るとは思いつつも、毎月届く歌誌には豊かで明るいお作が並び、ウフッと笑える身辺詠に励まされる日々だった。

  平成25年12月25日付、朝日新聞「ひと」欄では、12日に「現代短歌大賞」を受賞の折の晴れやかな写真が載っている。銀髪にあかね色のスーツがよく映えて、胸にはフランス製のスカーフが下がり、赤いワインを掲げてほほ笑まれる。

  平成24年、95歳で出された第十一歌集「青銀色(あをみづがね)」。私は25年1月3日の盛岡タイムス初コラムに、英子さんの「医者通ひだけの日常変化なれど『どッこも悪くない』と診察」を掲出、すぐ新聞をお送りして大層喜ばれた。「ありがとう、ありがとうよ」という会話文のご返信がうれしく、さいさきのよい年明けだった。

  大正6年富山県生まれの氏は、二十歳で北原白秋創刊の「多磨」に入会、毎月の歌会は70人ぐらいも集まり、白秋選歌でそれは盛り上がったという。日比谷の松本楼の歌会で宮柊二と出会われる。しかし時代は戦時色を深めていき、軍事郵便の文通で愛を育む。

  「三鷹市牟礼と言ひしは六十年前おほかた畑と林道なりき」戦後居を定められた「三鷹市井の頭」に歌稿を毎月提出する私の習いも50年たった。「九十年も生きてきたれば、そりやあもう、五、六十年の古傷あまた」「古物商の青銀色のガラス瓶なみだ壺とぞシリアを旅して」集名の小さく青きなみだ壺、一葉の写真の美しさ。

  「栲領巾(たくひれ)のましろき尉(じょう)をまとひたる囲炉裏火ぬくし夜のほどろを」これは平成20年の宮中歌会始の応制歌。「たくひれの」は白にかかる枕詞。ましろき尉(灰)は90歳という年輪と気品を示し、命の火をかきたてられる。「召人(めしうど)宮ノ英子と声すれば立ちあがりたり膝ふるへつつ」の歌もみえ、あの日のテレビ画面がなつかしい。「なつかしみ買ひたる無花果食べもせず眺めてゐたり蔵つておかう」宮英子さん、大正の広い商家の幼年期をまなうらに、今、98年の歌紀行を閉じられた。
(八幡平市、歌人)



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