盛岡タイムス Web News 2015年  7月 15日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉282 三浦勲夫 ドライとウエット


 「ローズウッド」というから、バラの木かと思ったら「紫檀」(したん)だった。そのボールペンは見栄えがいい。固くて、茶色の材質に高級感がある。しかし、インクまでが固くて、書くとすぐに出なくなる。何秒か待って、また書き出す。外国製の欠陥商品である。インクを軟らかにする液体でもあれば加えたい。例えは悪いが、梗塞を起こした、血流、血管のようだ。その点、日本製は、おおむね、質的に信用できる。

  パソコンを使っていると、目が疲れる。原稿の下書きをするときは、紙がいい。紙は目に優しくて、疲れない。5月の空気は爽やかだった。しかし、その空気は、乾燥して目には硬質で、優しくない。6月後半に梅雨入り宣言があった。うっとうしいと言われる梅雨空だが、目には優しい。若いころ、このメリットに気が付かなかった。今は、自分の涙腺が梗塞(?)を起こしているのか。点眼薬の世話になっている。

  紙は目に優しいから、喜んで紙に原稿案を書き、ノートや日記帳にも、いろいろ書く。目が疲れない。その上、手の運動は、頭を刺激する。結局、頭脳も、身の内だから、体の運動に連結する。文字を読んだり、書いたりすることは、脳の活動を活発にする。特に、書くことは手を動かし、脳の創造活動までを進めるようだ。目に優しいから、紙は頭にも優しい気がする。

  涙腺が梗塞したみたいだ、と書いた。涙の量が減って、ドライ・アイ症状である。それでは、いつでも、ドライ・アイかと言えば、そうではない。以前よりも、涙もろくなった。感情に動かされて、涙はあふれる。その点では「ウエット・アイ」である。年を取ればこれは共通の現象のようだ。それがなければ、血も涙もない人間になる。体の方は年をとっても、感情の方は強くなるということだろうか。

  聴力は、比較的いい。教室で教えていても、これには助かる。教室の後ろから話されても、大体は聞こえる。声が小さければ、よく聞こえないことはある。そんな時でも、日本語なら、類推できる。英語の場合は、類推が難しい。5、6個のテーマの中から選んで、学生にスピーチをしてもらう。発音の違いがあると、聞こえても分からない。言い違いが、聞き違いや誤解を引き起こす。伝達の梗塞である。これは耳に優しくない。

  そんな時「話の内容は大体分かるけれど、1カ所、ここが分からなかった」といって、真意をただす。すると原因は発音の相違であることが分かる。例えば「ホール」(hall)と「ホウル」(whole; hole)、「ホール」と「フォール」(fall)などである。スピーチは、長くても、短くてもよし、途中まででもよし、とする。考えを言葉にして、話してもらう。不明や誤解があれば、原因を突き止め、そこから学ぶことができる。学習はそこから始まる。なるほどと納得すれば、学ぶ心にも優しい。言語習得の基本だろう。

  梅雨空の空気は目に優しい。最近は梅雨とは名ばかりで、空気が乾燥しているので、しっとりしてほしいと思う。人は、目、耳、鼻、口、肌で、外界を知覚する。外界はその上に、人間関係や、国際関係へと広がる。理解の優しさを阻む問題が現実には山積する。克服するには、協力や自制の厳しい努力も求められる。
(岩手大学名誉教授)


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