盛岡タイムス Web News 2015年  7月 30日 (木)

       

■  〈風の筆〉111 沢村澄子 困った人ね


 奇妙なことに、最近、翻訳の仕事に関わっている。

  ダメな学業の中でも最悪だった語学。高校時代、担任が英語の先生で、その英語で2点や7点や11点を取るものだから、「キミさえいなければクラスの平均点は2点上がる!」と叱られ、「キミは一体、学校に何しに来てるんですか!」と怒鳴られた時には、「テニスです!」と即答。その後、ラケットを筆に持ち替え今日に至るわたしが、この期に及んで英語とは…。 

  実際には、和文を書いた人と翻訳する人の間を行ったり来たり、書の専門用語を訳しやすい日本語に置き換えたり、注釈を付けたりすることが仕事で、翻訳ではない。当然。ところが、この一歩離れた立場から眺めてみると、苦手なはずの英語が意外に面白く映る。

  随分昔、テレビで見た何かの白黒映画のそのワンシーン。女が男に向かってYou are crazy.≠ニ言った時、字幕には「困った人ね」と表示されていた。

  へぇぇ…。「あなたは狂人です」でもなければ、「アンタ、狂ってる」でもない。その男は女にとって、「困った人」なのである。

  この訳によって、この登場人物の性格や、ここでの男女の関係がおのずと想像されてくる。女は当惑こそすれ、その男を憎んではいない。そしる気もない。演じていた女優が誰だったか覚えていないのだが、とてもフェミニンな大人の女性だったと記憶に残った。

  つまり、翻訳には、登場人物の性格や、ストーリーの内容さえも変えてしまう力がある。そして、その力には、どう訳すか、表現するかのその前に、その原文をどう解釈するかが、大きく影響しているように思われるのだ。そして、そこでの解釈にも、表現にも、まさに翻訳者ズバリが反映されてくるから、面白い。

  ドブロクか濃厚ラムかブランデー、みたいな印象を与える和文が、大吟醸かキラキラ光るスパークリングワインみたいな英文に変身した時には驚いた。それでも文章の意味は同じ。訳したのは、妖精かマリアさまのような雰囲気を持ったたおやかな翻訳家だった。

  その時こそだ。翻訳するという行為は、書をすることに似ている、と思った。素材となる詩歌をどう解釈してどう表現するか、そこにその書家の諸々が反映されて、同じ詩を書いていても、各々全く違う書ができる。それでもそこに書かれている文章の意味は同じ。

  いや、待て。同じなんだろうか。解釈の段階で、原文の意味≠フ捉え方が翻訳者や書家によってそれぞれ微妙に違うかもしれないから、厳密には、そこで既に、原文の意味は変わり始めているのかもしれない。

  フランス語で「シニフィエ」「シニフィアン」という哲学用語があるそうだ。前者は記号内容(主として言葉の意味)、後者は記号表現(主として言葉の音声。言葉の持つ感覚的側面)を表すと聞く。また、意味といっても、表面で読むのと深読みするのでは中身がまるで違ってもこようし、音声には形も色も匂いもあるように思われる。原文作者の魂をまで感じれば、それも影響するのか、しないのか。

  さて、これらのそれぞれを、どう書にしよう。

  日々、こんなことばかり考えて、I'm crazy≠たしはいつも、困った人。
      (盛岡市、書家)


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