盛岡タイムス Web News 2015年  8月 10日 (月)

       

■  〈幸遊記〉239 照井顕 山谷眞行の語らいの家・ゆう


 山谷さんと初めて会ったのは2003年〜04年ころ。北上川上流の四十四田ダム近くで「カレー&喫茶ギャラリー・1244」という昼だけの店を、僕たちが2人で1年間だけ開いていた時でした。そのギャラリーで彼の長男・悠人君たちが集う「工房・ヒソプアトリエ」で、橋場あやさんの指導のもとに創作した障害児たちのアート作品を展示した時だった。

  作品展の相談に来た山谷さんの奥さん・恵子さんは、その後開運橋のジョニーにまで、何度もご主人と一緒に、当時店に出演していたティアラ(ピアノ・さかもとちえ。ヴォーカル・はとおかみか“現・アンダーパスのヴォーカル”)の坂本さんと家が近所だからと聴きに足を運んだ。また、穐吉敏子さんが来演する時には必ず来てくれていたご主人・眞行さん(65)。

  彼は花輪鉱山の出身。田山中学、盛岡四高を経て上京。父のすすめで日本測量専門学校へ。その後4年会社勤めをしたのち、24歳の時、土木の勉強もしたいと、新聞配達をしながら読売東京理工専門学校土木科で学び、30歳でUターン。岩手で建設会社に25年勤務。55歳でリストラになった時、年老いた母を引き取り、1年半一緒に暮らした。老いる、年をとるということと、介護する自分の姿を、二人の息子に見せたのだと言う。

  「その母の導きで今の仕事、デイサービス、“語らいの家・ゆう”を、岩手県立博物館近くに開くことができた」その名「ゆう」は彼の長男の名前からだが、さかのぼれば20代の新聞配達時代に、ジャズファンの間で評判の高かった評論家・悠雅彦氏にあこがれ、会社の近くにあったジャズ喫茶「ちぐさ」にも通ったというジャズファンらしい名付け方。

  最近になってその横浜の新聞販売会社の社長・佐藤さんがジョニーに現れた話をしたら山谷さんは「当時、中学生だった息子さんか?」とビックリ! 僕も山谷さんに「サインしてください」と、30年前に出版した僕の本を差し出されてビックリ! そういえば彼の奥さんから、1994年の「アルビレオ」創刊号に書いた僕の文章を何度も読み返していますと、手紙を頂いたことがあった。そんな山谷さんたちは今、次男の庸祐(ようへい)さんと一緒に、平均年齢86歳の先輩たちとともにもう一つの未来物語を生きている。
(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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