盛岡タイムス Web News 2015年  8月 12日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉448 伊藤幸子 「笑点放送50年」


 釣れてよし釣れなくてよし人生竿一本
                     桂歌丸

 「お待ちどおさまでした。司会の歌丸です。どうぞよろしく」との発声で、日曜夕方の人気番組「笑点」が始まる「『笑点』放送50年!大喜利の神様がわが人生、わが落語を語る!」とオビ文もにぎにぎしく「歌丸 極上人生」を読んでいる。どこから読んでもおもしろく、「エッ、それで、それで」と興味津々、二度も三度も話の海にいざなわれ酔わされる。

  でも、歌丸さんが昭和11年生まれとは、しかもお盆の8月14日が誕生日だなんて知らなかった。多く古典落語を聞いてきたせいか、また生家が横浜の遊郭だったという伝説めいた生いたちを知るにつけ、私とわずか10年しか離れていない世代とは信じがたい思いだ。

  横浜市真金町といえば戦前から色街華やかな地域だった由。間口が七間か八間の大きな店、今は「みなとみらい」となっているあたりが小学生のころの遊び場だったとのこと。

  しかし廓(くるわ)のまんなかで生まれ育ったのに昭和20年5月29日の横浜大空襲ですっかり焼け野原になってしまった。父親とは三つの年に死別、母も去り、ずっと店を守り、戦後いち早く住居を建てたのは豪快な祖母だった。闇成金だとか牛太郎とか、廓文化のしきたりや今では死語のようなことばにハッとさせられる。

  やがて時代も変わり、祖母は今までの店をたたむことになった。昭和26年、五代目古今亭今輔に入門、27年中学卒業。4月から古今亭今児と名乗る。上野鈴本で初高座。翌28年、祖母心臓発作で他界、68歳だった。

  昭和32年、21歳で白岩富士子さんと結婚。36年四代目桂米丸門下となり、39年歌丸と改名。41年5月15日、「笑点」スタート。大喜利メンバーとなる。平成18年「笑点」五代目司会者となる。19年に71歳で勲四等旭日小授章叙勲。

  本書随所に歌丸さんの写真が見える。色白、細面の美形、さぞもてたことだろうと思われる。お酒は一滴もたしなまれないという。

  先輩友人たちの酒の失敗談も語られるが、世間のうらおもてを見尽くしてこられた目には善意の人々の喜怒哀楽が叙情詩のようだ。

  そして多くの親しい人々が旅立っていった。名を聞けばああ、あの人がと読者もすぐ反応。長年司会を務めた三波伸介さん、五代目三遊亭圓楽さんも立川談志さんももういない。

  「夢にまで見た今日のお客さま」が歌丸さんのうたい文句。おや、テレビからは半世紀に及ぶ「笑点」の軽快なテーマソングが流れてきたようだ。
    (八幡平市、歌人)



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