盛岡タイムス Web News 2015年  8月 13日 (木)

       

■  歴史の修羅を超えた決断 戦後70年企画対談「先人の波濤」 時代の指針語り合う 平和開いた米内の遺訓


     
   盛岡市本宮の盛岡市先人記念館で対談に臨む和井内氏、大内社長、松田氏(左から)  
   盛岡市本宮の盛岡市先人記念館で対談に臨む和井内氏、大内社長、松田氏(左から)
 

 盛岡タイムス社は今年の終戦70年にあたり、対談「先人の波濤(はとう)」を企画した。盛岡市の作家の松田十刻氏(60)、旧盛岡藩士桑田元理事長の和井内和夫氏(87)、盛岡タイムス社の大内豊社長(76)が、盛岡市先人記念館で対談。盛岡出身の総理、米内光政ら先人の事績を通じて、戊辰戦争から太平洋戦争までの近代史を検証した。海軍出身の和井内氏、戦争遺族の大内社長、戦後生まれの松田氏が、それぞれの立場から平和について持論を展開し、歴史観を語らった。

  終戦の日について、国民学校1年だった大内社長は、「父の実家でラジオを聞き、近所の人たちが玉音放送に耳を寄せて聞いていたのを覚えている」、和井内氏は「負けると思っていなかった。ただ上の方の人はそれほど動揺を見せなかった。やはり情報は入っていた」と玉音放送の記憶をたどった。松田氏は「幸いなことに生まれてから60年間、戦争を知らない。それは実に尊いことだと思う」と戦後派の実感を明かす。

  明治の陸海軍は薩長閥が建軍し、昭和に入り、満州事変の頃には岩手県人をはじめ多くの東北出身者が主導権を握る。松田氏はこれを「歴史の振り子」と例える。盛岡藩士を父祖に持つ東条英機が開戦内閣を率い、終戦内閣では米内が海相として和平工作にあたった。「岩手人が戦争を始め、岩手人が戦争を終わらせた」との論評を引き、「もしも米内が海軍大臣でなかったら、軍部が唱える本土決戦が行われていたことだろう」と論じた。

  大内社長は「太平洋戦争の中で大きなポイントになるのは日独伊三国同盟。岩手人が関わった」と述べ、板垣征四郎、及川古志郎を含め、陸海軍の対立に歴史の痛恨を見いだす。和井内氏は「海軍には連合艦隊司令長官はいても、陸軍には最高司令官の職はない。武器の差はわたしも経験した」と、戦時中を回想した。

  松田氏は終戦時の緊迫に触れ、「戦争継続に反対したのは米内だけ。陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長の3人がそろって本土決戦を唱えている。それをひっくり返すのだから大変な労力だった」と、昭和天皇を前に難局を収めた米内の手腕を評価する。

  和井内氏は「政治家と軍人を兼ねる者が出てくるので、判断を誤る」と、歴史の教訓を語る。大内社長は「引き際と言うものがある。いかに戦争によって国土が荒廃するかという人権的な学問がなかった。非常に怖い」と話し、教育、文化の重みを強調した。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします