盛岡タイムス Web News 2015年  8月 26日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉288 三浦勲夫 ベンチでごろ寝


 棟続きの母宅に背のない木製ベンチが一つある。その上にあおむけに寝ると、腰が伸び、背骨が伸び、腹も伸びる。体は平らなのだが、誰かに背中合わせに担がれて、ぐいと反り返った感じである。伸び方が十分に利いて、初めは呼吸できないほどだが、すぐに、伸びた背筋がこの上なく気持ちよくなる。

  その形でふと横を見ると、テーブルの下に棚があり、その上にそれまで気付かなかった物が3個あった。句歌集「秋冬新春」、紙箱ティッシュを入れる木製ケース、帳場で使うような大型そろばんだった。大人の目線はテーブルを見下ろしても、下から見上げることはまずない。猫とは違う。昔、クレージー・キャッツの歌(スーダラ節)に「気がつきゃホームのベンチでごろ寝」があったなどと、と思う。4年半前の大震災にも耐えて天板下の棚に乗っていた。「地震の時は、テーブルの下へ!」である。

  それはともかく、ベンチでごろ寝して、陶然(とうぜん)として、気付いたのは、右大腿関節が痛まなくなったことだ。いいことが一遍にいくつか重なった。また歩ける。その日から、長距離を歩いたが、関節は痛まない。逆さ富士、天橋立の股のぞき。いいことを思い浮かべた。国語辞典を見ると同音異義の「弁知(べんち)」とは、「わきまえ知ること、思慮分別のあること」(大辞泉)とある。「智弁」もある。日本語の語彙(ごい)が増えた。

  昔、江本孟紀(たけのり)というプロ野球投手がいた。いい投手だったが、口は辛辣(しんらつ)だった。信念のためならけんかも辞さぬ正直者で、極め付きが「ベンチがアホやから野球でけへん!」だった。時の阪神監督への批判で、「ベンチ」を換喩代名詞としたパンチ。土佐の「イゴッソウ」(頑固者)。歯に衣を着せない弁舌で、後に野球解説者、政治家、実業家となる。「アホ」の連想で、阿波踊りの本場出身かと思いきや、高知県の出である。著書に『プロ野球を10倍楽しく見る方法』などがある。(読もう!10年ひと昔)

  ともかく、ごろ寝ベンチの福徳か、1時間、歩いても平気である。腰や背を屈めることは自然のすう勢だが、反らせることは、伸身である。伸身は心身にもいい。昔の横綱、露払い、太刀持ちの化粧まわしに「心」「技」「体」の三文字があしらわれていた。その一つ、「心」の要素がまた三つあり、「知」「情」「意」となる。高齢者の心を考えるとき、この三つに「心」しなければならない。知性、感情、意志である。「ベンチがアホやから」とは言われたくない。「弁知がある方やから」ならまだしも。

  最近読んで面白かった本は、又吉直樹の「火花」である。お笑い芸人である著者が今年の芥川賞を得た。ベンチについて、面白いくだりがある。主人公が夜間、公園のベンチに座って、相方と漫才のネタ合わせをする。やる気がない相方を殴ろうと立ち上がったが、ベンチの溝に、尻ポケットから出たウォレットチェーンが引っかかって、立てない。真剣な場面だが、二人ともおかしさをこらえ、一触即発を避けた。バツの悪さの持って行き場が面白い。この本を買いに、幼い孫と書店に行った。新刊本が並ぶ棚の前で、孫は「いい匂いがする」と大声で意外な「批評」を下した。その新鮮な評価に周囲もニッコリ。書店に人を呼び、読者の心を活性化する、売り切れ増刷作家の力である。
(岩手大学名誉教授)


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