盛岡タイムス Web News 2015年  8月 30日 (日)

       

■ 〈巨匠と伯楽―黒澤明と淀川長治〉(下) 大澤喜久雄


  「姿三四郎」に続く黒澤の監督第2作「一番美しく」は1944年3月に公開された。東京郊外大森の軍需工場で働く女子挺身隊の群像を描いたもので、出演はスターの入江たか子、若手の谷間小百合、矢口陽子、尾崎幸子らに女学生役のエキストラが30人ほど。

  それで男優はというと、生産責任者で軍との難交渉もこなし、隊員らの食糧の心配もしなければならない実直な男を志村喬、倉庫の管理係が渋い菅井一郎の2人。

  黒澤監督は第1作でうらぶれた老柔道家を好演した志村を再び起用したのだったが、2作目でも注目されたのは女優陣ではなくて、志村の風格と重厚な演技。淡々と演じていながら、主役の入江をしのぐ大きな存在感に、黒澤監督は改めて驚かされたという。

  これ以降、同監督は「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞」「羅生門」「生きる」そして日本映画史上トップの興行収入を上げたといわれる「七人の侍」でも、志村を主役、スターの三船敏郎を脇役に回して撮っている。

  志村は明治38年(1905)年兵庫県生まれ。23歳で勤めを辞め、舞台役者を目指して上京、当時新劇運動の中心だった築地小劇場の研究生となった。しかし世相は暗黒時代で、治安維持法違反の疑いで築地署に2日間拘束され、以後映画畑に移った。生涯出演作品は約230本といわれる。

  志村が検挙された時の留置仲間≠ノ、東野英治郎、滝澤修、澤村貞子、新劇の団十郎≠ニいわれた丸山定夫らがいる。丸山は後年、園井恵子、永田靖らと「さくら隊」を結成、不運にも公演先の広島で原爆死している。

  ところで黒澤監督は、あらゆる役をこなす志村の演技力にすっかりほれ込んだが、そのついでに挺身隊の班長役をやった矢口陽子にもほれて半年後に結婚、会社側から大目玉を食らった―とは、同監督が無二の親友淀川長治氏に語った裏話。

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  父親がとてつもない遊び人で、母親が大変苦労したことから、家庭に幻滅した淀川氏は生涯独身を通した。しかし映画好きの父親に連れられて、チャップリンの喜劇ほか多くの作品を見ることができた点は感謝している―と言う。

  淀川氏はチャップリンにまつわるエピソードで「最も心に残る一幕」として語ったのがグランドホテルでの珍事=\以下は「チャップリン自伝」(中野好夫訳)から抄出する。

  ロンドンのしがない寄席芸人の子であるシドニイ・チャップリン兄弟は1910年渡米、映画に端役で出始める。やがて浮浪者スタイルで笑いと涙、哀愁を漂わせる演技で、チャップリンは次第に人気者となり、シドニイはマネージャーとして手腕を発揮する。

  そして1928年、シカゴの映画制作会社から声がかかった。2人は現地へ出向き、グランドホテルのロビーで社長とギャラ交渉を行った。

  シドニイは週1200j、加えてボーナス1万jという他社の相場額を提示すると、時代遅れの高齢社長は仰天、「ロクに名前を知らぬ役者だから『せいぜい300j』」と言う。

  するとシドニイは「名前を知られていない役者かどうか、5分間お待ちください」と言ってボーイを呼び、小銭を渡して耳打ちをした。

  うなずいたボーイは、ホテル内の四つのレストランや会議室、バーなどを回りながら、「チャーリー・チャップリン様、お電話が入っております。ロビーの5番電話室までお越しください」と大声で触れ回った。

  「大地震でも来たかのように、にわかにホテル内に喧噪の渦が巻き起こった」と、超一流・中野好夫氏の名訳である。

  ロビーにはレストランで食事中の着飾った紳士淑女や商工会の役員諸公、市長主催の晩餐会出席者ら、およそ80人ばかりが押しかけ、5番電話室を見守った。

  驚いたチャップリンは、事態収拾を図るべく、大勢をかき分けて電話室の前に立ち、「実は…」と事情を話しておわびした。

  紳士淑女らは怒るどころか、生の喜劇王・チャップリン≠ノ会えたうれしさに、笑顔で次々と握手を求め、全員が満足げに席へ戻って行った。

  この様子を見ていたシカゴの社長は、シドニイの手を固く握って契約OKを告げた。―以上の話を淀川氏は、チャップリンから身振り手振り入りで聞かされ、一流の役者による名舞台を見る思いがしたという。

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  黒澤監督の回想― 一つ年長の淀さんと出会って50年余り、まさに心許した友≠ナあった。洋画が専門とみられている淀さんだが邦画も名作、話題作ほか実に数多く見ており、ぼくの作品すべてについても好意的、時には辛口の感想を寄せてくれ、大変参考になった。また「黒澤明―自伝のようなもの」を岩波書店のすすめで出版した時、巻末の解説を淀さんが引き受けてくれ、とても好評な文をつづってもらいありがたかった。
          =おわり=       (旧シネ研顧問)


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