盛岡タイムス Web News 2016年  6月 29日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉332 三浦勲夫 チチと鳴く


 「蓑虫(みのむし)はかわいそうだ。鬼のような親に、秋風の吹くころになったら、迎えに来るから、と言われて捨てられて、ちちよ、ちちよ、と泣く」。『枕草子』にそのように書かれた蓑虫。「父よ、父よ」とも「乳よ、乳よ」とも解されるようだが、そもそも蓑虫はオオミノガ(蛾)の幼虫で、鳴かない。捨て子が泣く声を想像して「ちちよ、ちちよ」と書いたのだろう。清少納言の想像というより当時の俗説か。自然観察力に驚く。

  行基(668〜749)の歌がある。「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば、父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」。調べると、山鳥は「チチ、チチ」と鳴くのではなく、低い声で「ククク」「コココ」である。「ホロホロ」ではない。「ククク」、「コココ」の低い声を山で聞けば、親をしのぶように聞けるかもしれない。よく似たキジの声は「ケンケーン」と言われるが、実際には「ゲゲー、ゲゲー」のように、おおきなかすれ声で、親をしのぶ情とは遠い。

  童謡「七つの子」では、カラスの「カーカー」が「カーワイ、カーワイ」と聞きなされているようだ。「かーわい、かーわい、とカラスは鳴くの、かーわい、かーわい、と鳴くんだよ」。母ガラスが七羽の子を思って鳴いている。

  「チチ」と鳴く鳥ならたくさんいる。スズメ、モズ、その他。「モズが枯れ木に鳴いている」はサトウハチローである。ふつうは「ダダダダ」と機関銃のように、けたたましく鳴くが、「チチチチ」とも鳴く。「百舌」(モズ)のゆえんである。スズメの学校の先生は、「チーチーパッパ、チーパッパ」とかわいらしい。

  思わず、鳥の鳴き声に話が進んでしまった。心は、親子の情愛である。「いえ」と言えば建築物だが、「ウチ」といえばそこに住む家族、仲間である。「ウチに帰る」というが「イエに帰る」はあまり言わない。言えば「建築物」に帰ることで、住人は意識されない。「ウチ」の方が暖かく優しい。しかし、である。内向きの意識が強くなりすぎると、排他精神も強くなりすぎる。

  アメリカ大統領選挙で共和党の最有力候補に躍り出たドナルド・トランプ氏が思い浮かぶ。メキシコとの国境に高い塀をめぐらして、不法入国を阻止せよ。他の移民も阻止せよ。日本や韓国に国防費を全部、出させよ。最近は、私設の大学を舞台に何やら「詐欺罪」に問われている。どこまでも「ウチ」向きに徹した人物であるようだ。

  英国がEU離脱を国民投票で決定した。これも欧州大陸諸国とのつながりから脱出して、大陸からの移民制限を目的の一つとする。現状でも、自国の国民が外国人と結婚していれば、一定の年間収入がなければ、帰国・永住を認めていない。離脱後の英国の行方はどうなるのか、想定外の曲折が現出するだろうと、予想されている。

  日本はどうか。殺人事件が絶えない。金目的、愛情のもつれ、ストーカーなどは他人を顧みない利己心が動因である。自分さえ、当座さえ、良ければそれでいい。個人の殻にこもって考え、行動する。邪魔者は消せ。排除せよ。孤立すると、被害妄想が嵩(こう)じる。みにくい蓑を着た虫。鬼の心。自分の子も鬼となり、親を迫害するだろう。捨てる。子どもは「ちちよ、ちちよ」と親を呼ぶ。蓑(自分)の殻に閉じこもって。
   (岩手大学名誉教授)


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