盛岡タイムス Web News 2016年  7月 13日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉334 三浦勲夫 ムラサキシキブ


 春になり、草が芽を出し、木が葉を出し始めたころ。よその生垣のムラサキシキブは哀れに枯れたままだった。「死んだのかな」と心配していたら、春が終わるころから少しずつ、幼い葉が出始めた。今は7月。すっかり、緑の葉に覆われている。安心した。やがて花が咲き、紫色の小さい実が付くだろう。実は房をなす。

  資料によると開花(淡い紅色)は6月とあるが、7月になっても開花しない。春に遅れ、夏にも遅れている。晩生(おくて)のムラサキシキブさまだが、実(じつ)の名のいわれは、かの大作家、大歌人とは無縁である。「シキミ」すなわち「たくさんなる実」が紫色だから、ムラサキシキミ、それがなまってムラサキシキブというそうだ。その生垣を含む散歩道は変哲もない小路だが、ブドウ、アケビ、グスベリ、ブラックベリーなどが実をつけ、色着いたり、膨らみを増したりしている。

  ムラサキシキブは実の大きさが、「仁丹」という名の昔の薬を思い出させる。あれは銀色の小粒だったが、「丹」とは朱色、赤色である。「あをによし奈良のみやこ」というのは、青や赤の色が美しい奈良のみやこ、である。青い甍(いらか)、赤い柱だろうか。韓国大統領府の「青瓦台」を思い出す。そんなことまで連想させるムラサキシキブである。

  植物は年を取ると芽吹き、開花、結実が遅れるものかどうかは分からない。あのムラサキシキブはなぜか、その遅れが例年になく大きいように思う。それが年のせいだとするなら、遅ればせながらも生命力はまだ残っていることになり、同慶の至りである。

  「シキブ」は「シキミ」のなまりであるということを、家人に話すと、彼女は「ムラサキシキブの隣にある木がシキミよ」と言った。その通りだった。「シキミ」はこれでまた、独立した別の木である。白に近いかすかに緑がかった花をつける。関東から西にある木だが、その「シキミ」は静岡県から移植したという話だ。ムラサキシキブ(ムラサキシキミ)とシキミが隣り合う。偶然ながら、因縁めいた配置である。

  平安朝のみやびとはかけ離れた、ひなびたムラサキシキブに、「名と実」とのアンバランスをずっと感じていた。「なぜあれが紫式部なの?」と。なまり(発音変化)のいたずらであったとは。「源氏物語」の作者、紫式部の名前も不詳である。式部は官位の名称で、紫は「源氏物語」中の「紫の上」に由来する、ともいわれる。平安中期の人だが、当時の女性は夫以外の人には自分の姓は明かしても、名は明かさなかった、という。「姓と名」の乖離(かいり)である。

  紫色も東西を問わず、高貴な色である。紫の染料を取ったムラサキグサは、群れて咲いたことから、「群ら咲き」となったという説がある。わずかな染料を取るのに、多くの原料を必要とした。貴重だった。古い時代の紫色は赤みが強く、「京紫」に近い。青みがかった色は新しく「江戸紫」に近い。前者はパープル、後者はバイオレット(すみれ色)である。紫は赤と青の中間にある「純色」であるが、太陽光の7段階分類では、波長が最も短い。外側に紫外線がある。京都の紫野はムラサキグサの群生地であった。「あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る」(額田王)。(岩手大学名誉教授)


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