盛岡タイムス Web News 2016年  7月 15日 (金)

       

■  南部に仁の医術あり 盛岡市の三浦雅子さん 栗山家の資料など市に寄贈


     
  谷藤裕明市長から感謝状を受け取る三浦雅子さん(左)  
  谷藤裕明市長から感謝状を受け取る三浦雅子さん(左)
 

 盛岡藩の御医師を務めていた三浦家の子孫に当たる盛岡市の三浦雅子さん(59)は14日、同家に伝来する資料27件28点を同市に寄贈した。寄贈されたのは、15代盛岡藩主の南部利剛の書や栗山大膳の子・雖失(すいしつ)に関する資料などで、いずれも栗山家や盛岡藩を知る上で貴重な資料。今後、もりおか歴史文化館、市先人記念館に収蔵される。盛岡市役所で感謝状贈呈式が行われ、谷藤裕明市長から三浦さんに寄贈に関する感謝状が手渡された。

  三浦家は、初代自休が第5代盛岡藩主・南部行信に召し出されて以来、漢方医・蘭方医として代々南部家に仕えた。7代当主の自祐は、八角高遠に学び、大島高任らと共に洋学校「日新堂」を創設するなどした。今回寄贈の資料は、2014年に岩手医科大学の記念誌作成のため蔵の資料を整理する中で見つかった。

  自祐が奥医師を務めた南部利剛の書「神農」は、南部家と医師として仕えた三浦家のつながりの深さが表れているほか、江戸時代の蘭方医、新宮凉庭の書「利者義之和也」は、新宮の弟子、八角高遠から三浦家に伝わったとみられる。花巻市出身の絵師、八重樫豊澤画「ブランカル肖像」、杉田玄白の養子で一関市出身の蘭方医、杉田伯元讃「ヒポクラテス肖像」は、いずれも文化年間に描かれた洋画で珍しいという。

     
  盛岡市に寄贈された三浦家伝来の資料の一部  
 
盛岡市に寄贈された三浦家伝来の資料の一部
 


  「栗山雖失宛南部重信書状」は、茶会延期の知らせに対する返答と茶碗・茶入れの寄贈に対する礼が書かれた文書。「栗山雖失宛盛岡藩家老連印証文『被遣新田所之事』」は、盛岡藩の家老たちが雖失に対し、現雫石町の新田開発が終了次第、検地を申請するよう命じたもので、雖失が南部領の土地を有していた証明となる文書。雖失は黒田騒動により父・大膳と共に盛岡へ配流されたが、藩主と親密な関係を築き、厚遇されたことが、いずれの文書からもうかがえる資料となっている。

  三浦さんは「貴重な資料を代が変わってもそのままにしておくのではなく、先人記念館や歴史文化館などに寄贈し、企画展などで皆さんの目に触れてもらえればと思った。ぜひ、興味がある方は企画展などで見てもらえれば」と話した。

  谷藤市長は「今回寄贈いただく資料は、盛岡藩の藩政期から明治期にまでおよぶ書画が中心だが、中には盛岡藩に銀白檀合子形兜を持ち込んだ栗山大膳の子、雖失に関するものもあり、歴史研究の側面においても大変貴重なもの。市としては先人記念館、もりおか歴史文化館で保存管理し、展示および研究資料として有効に活用したい」と感謝した。


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